2019年4月22日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1068)・・・打ち上げ宴会で

Img_3202-24月21日は教室展最終日。今年はひとりで来てくれる人が多い気がする。7日間で2200名の来場者があった。初日に来てくれた豊川の絵画グループが最終日にも現れたのでビックリ。秋の展覧会には、みんなで出掛けますから案内くださいと云って別れた。

我が家の菩提寺のお坊さんが奥さんと来てくれたが、いつも見慣れた袈裟ではなくピンクのシャツに野球帽姿だったので一瞬誰かわからなかった。法要の時と違って終始笑顔でよく喋った。

4時からの片付けには横須賀のOさんと松井クンも手伝いに駆けつけてくれ、会場は夢の跡のように消えてしまった。打ち上げの宴会には34名が参加。松井クンも宴会に出たいというので同行。井上さんの横でガンガン飲みながら大はしゃぎだった。宴会の冒頭、挨拶をというので少し話をした。

「展覧会お疲れ様でした。お蔭で無事に終了してホッとしています。たまにはちゃんと挨拶したらとカミさんが云っているのでひとことお話させていただきます。今回も大勢の方々に来ていただきました。これは常々皆さんが、それぞれの美を熱く求め制作してきたことへの評価だと思います。

今年の6月で教室を開いて20年になります。10周年記念の打ち上げパーティを浜松駅前名鉄ホテルで開催した時の挨拶で、20周年に向かって頑張ろうと云ったのがついこの間のような気がします。

20年前に絵画教室をしようと思った時には行動美術の諸先生の指導はいただいていましたが、絵の指導はしたことがなく生徒と共に考え成長していければと思い、今までやってきました。というわけで教えるというよりも一緒に考え、私はこう考えるがこれから先は自分で探ってみようと後押しをしてきたという感じなのです。この間皆さんは目覚ましい成長をしました。今は、絵があってよかった、楽しかったと思える人生を送ってほしいと願うばかりです。

初日には山本晶司先生にギャラリートークをお願いしましたが、深い見識を持つ先生のお話も数年に亘り伺ってきて刺激になっていると思っています。多様な表現が楽しめました、元気をもらいましたと云って会場をあとにする人達をみて、今年も大変だったが開いてよかったと思いました。

山本先生から葉書が届いていますのでご披露します。生徒の皆さんの作品は私にとっても、よい勉強になりました。井上さんの作品はこの展覧会の華といっていいと思います。これからもお色気のある作品を描くようお伝えくださいと書いてありました。

この先どこまで行けるのかはわかりませんが、益々張り切って作品を創り、仲間と楽しい交流を続けていただきたいと思っています」

 

 

2019年4月19日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1067)・・・それぞれの美意識

Img_3193-218日朝、会場に着くと、昨日の教室展で井上さんの人形を引っ張って糸を切ってしまった女性が針と糸を持参して修理に来ていた。私も一緒に手伝ったが、やってみると意外にカラクリが難しく手こずった。

そこに井上さんが現れ、箱ごと外し全て針金に換えて補強。時計職人のような指先の器用さに見とれてしまった。2時間ほどかけ完成。「これで午後からショーの営業ができます」

直ったところに元高校教諭の折金さんが来て、尾崎放哉の豆本句集をプレゼントしてくれた。80句ほど入った立派な装丁の手作り句集だった。尾崎放哉の生き方や句の話になり「侘びさびもなく、ただ呟くだけの句を画家さんはどんなプロセスで絵にするんですか?」先生は「尾崎放哉との対峙展」を踏まえて訊いている。

私は「随分戸惑いました。放哉と向き合ってみて、裸の人間力が試されるものだということがよくわかりましたね」「ところでコンコルド浜松井上盛卒業記念展の井上さんの抽象作品もよかったですねえ。男女の出会いと別れを描いたって云ってましたけど、私には共感するところがありました。絵は誰にもいえない思いを表現できるからいいですよね、無言で感じあえるという」と先生は云った。

「絵のよってたつところはモラルや常識などではなく、それぞれの生き方における美意識ですからねえ。よろこび、悲しみ、切なさ、痛みはみんな違う。口を噤んでいても絵なら感じあえる。アートって内なる孤独がなせる業なんだなあって思うことがありますよ」と私は云った。

86才になる生徒のOさんは会場を見て回ってひとこと。「僕の絵が一番平凡だった。もっと味わいのある絵を目指したいなあ」と笑った。柔軟な心を持った人だ。Oさんは完成度の高い作品を作るが現状に満足せず更に進化する人なんだと思った。この姿勢こそが新しい表現に出会うきっかけになる。

夕方、帰宅すると山本晶司先生から葉書が届いていた。「先日は生徒さんの作品をみせていただき、よい勉強になりました。93才の井上さんが創り出す作品は今回の作品展の華とみてよいと思います。これからもお色気のある作品を沢山描くようお伝えください」

2019年4月18日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1066)・・・新宿3丁目

Img_3230-2 アトリエYOU杉友会作品展は21日までクリエート浜松で開催中。93才井上さんは終戦直後の新宿3丁目で繰り広げられていたストリップショーを50号キャンバスに再現。路地には客引きのお兄さんが狡猾そうな上目遣いで指を2本立て客の顔を窺っている。

腹の出たおっさんは、くわえ煙草で見下ろすように「本当に面白いのかよ?」と云っている。通勤帰りのカバンを持った男は酔っぱらって赤い顔、助平そうな横目でそのやり取りを覗く。電柱には犬がオシッコしている。横には赤い鳥居と小便スルナの張り紙。

新宿芸能研究所の薄汚れた看板の戸を開けて2階にあがると狭い部屋には、おてもやんのような化粧をしたおばさんストリッパーが。針金を引っ張ると踊り出す。引っ張りようで色々な踊り方をする。

初日に来たS新聞社の若い女性記者に説明して歩いていたら、この人形に目がとまって「手にバナナを持っていますね」と穢れのない目で訊かれた。「小道具だと思いますよ」「わかった!疲れたら食べるんでしょ」

井上じいじから説明を受けていたが説明しづらい。会場に来ていただき躍らせながら考えてください。この人達は人間臭くてチャーミング。井上さんは遠くから眺めて微笑む人間賛歌の目線である。あらゆる所業もユーモラスな目線で包み込んでしまう懐の深さは私の遊び心を刺激する揺り籠である。

みんなで引っ張って躍らせるので昨日の午後ついに糸が切れてしまった。「潰してしまいました」と申訳なさそうな顔して受付に来たのは上品そうな中年女性だった。「面白かったのでつい力を入れて引っ張ってしまい・・・」

セロテープで補修してみたが動かすと潰れてしまうので井上さんに電話をした。「みんな面白がって引っ張るので糸が切れて、垂れ下がってしまいました」と云うと「明日直しに行きますから」と笑い声で云った。

2019年4月16日 (火)

気まぐれアトリエ日記(1065)・・・熱いトーク

Img_3191-24月15日は9時から教室展の展示準備、生徒50名が集まり、配置図に従って作品を置いていった。油彩、水彩、具象、抽象、小品、大作など様々なので、配置は入れ替えを繰り返しながら引き立てあいを考えたが、どんどんうしろから吊るし始めてくるので直感勝負だ。

11時にはギャラリートークをお願いしてあった山本晶司先生ご夫妻が到着。控室で食事をしてもらっていたら生徒の弁当も届き、みんなで昼食。そのあと控室で先生と談笑しているうち1時になり一般の観客も集まってきて、50名ほどの前でトークが始まった。

大勢なので、うしろまで聞こえるようにマイクを用意した。 先生の熱心なトークからは絵画を愛する心とユーモアに包んだやさしさが伝わってきた。その中からごく一部を記してみたい。

〈Mさんの水彩〉 石造りの町をよく描いているが、空がおざなりになっている。空をよく見て工夫するといい。空はただの空間ではない。

〈Yさんの油彩抽象〉 2枚のうち短時間で描いた方の出来がいい。瞬発力の絵なので、時間をかけ過ぎると大胆さやキレがなくなってくる。

〈Iさん93才の油彩抽象〉 自由な境地のユーモラスな遊び心のある色面。シックな色調の中にグリーンや赤の華やかな配色が洗練されている。

〈Tさんの水彩〉 線の魅力が際立って、余分なものが描かれていないのでシャープな感覚。抽象と具象の狭間に深い味わいがある。

〈Nさんの水彩〉 彼岸花の群生を造形して背景の色調に詩がある。部分だけを見せ、他はシルエットにする方がより心象的だろう。

〈Kさんの水彩〉 木立ちがよく描けているから、竹垣の方は省いた方がいい。どっちを主役にするか、よく考えて判断すること。

最後に全体を見渡しての講評があった。8割描けた時、この絵には骨があるか、色と線が心情を反映しているか検討すること。自然観照の中で、鳥の声、落葉の音など目には見えないものを表現しようとすることから抽象性が始まる。技術だけでは感じる心が見えてこない。公募展などの組織の中では、そこの画風に染まって流されないよう自分の求める美とはなにかを追い求める・・・など示唆に富んだお話が続いた。

86才、立ちっぱなしで2時間30分に亘る熱いトークに感謝しつつ恐縮した。

2019年4月14日 (日)

気まぐれアトリエ日記(1064)・・・前夜祭

Img_3197-2教室展生徒作品は、それぞれの教室開講日に持ち寄り、座敷から物置まで使って保管した。昨日みんなでバケツリレーのようにして画材店の車に積み込んだ。

15日にクリエート浜松に集合、参加者50名。午前中に展示を終えてお弁当を食べ、午後1時から山本晶司先生によるギャラリートークを待ち受ける。水彩で抽象画家の先生はユーモアを織り交ぜながらハッとするような絵画論を展開する。

そのこともあって生徒には出来るだけ展示作業に参加するよう声をかけた。とはいうものの高齢化がすすみ体力のいる展示作業は無理だという生徒も多くなってきた。その人達にはベンチを用意し、出来上がっていく会場を見ていてもらうようにしている。「役にたたないからお弁当を食べに行くだけになるよ」と云うが、お祭りとはそういうものだ。

浜松っ子は常にお祭り騒ぎが好きだ。FB友達の松井クンや、ヤッサと呼んでいる男性生徒などはその代表である。カミさんの在所はいつもお祭り騒ぎで、保育園と小学校の孫の友達が多い日には10人以上集まってきて家の中や前の空き地を走り回っている。義妹はそれが楽しいらしく、菓子やジュースを用意して待っている。

カミさん姉妹4人は揃ってデパートや旅行に出かける賑やかでお人よしの典型的な浜松っ子だ。この前は孫二人を連れてデパートに行った。休憩所でいつものようにくんずほぐれずじゃれあっているのを見ていたらどこかのオバサンが、静かにさせなさいと上から目線で私に云った。子供はじゃれあうものだ。

あまりに高圧的な態度なので私が知らん顔をしたら「子供のしつけも出来ない親だから、こんな子供になるんだよ!」と怒鳴りつけられた。ハイハイ出来そこないでございますよ、アンタは正しい。このオバサン、近所でもさぞ嫌われているだろうなー。

4月も末になると浜松まつりの法被を着た連中が町の中をソワソワと歩き始める。激練りがうるさいと市役所に苦情が来たらしくて禁止となってしまった。一年に3日くらいは楽しみにしているんだからやらせてやろうよ、熱くなろうぜ。耳栓でも配ってアタマ下げりゃすむことなのに、すぐ無難なことなかれに走るところがお役所らしい。

というわけで、浜松まつりの前夜祭みたいな教室展がもうすぐ始まる。

2019年4月11日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1063)・・・曲がり真っ直ぐ

Img_3199-2Mさんは水彩画を描いている。細部まできちんと描く力があるので描写力は公募展でも評価されているのだが、少し描く前に出来上がりを想定しすぎている気がしていた。最近「絵を描くのがつらくて・・・」と云う。上手に描くことはいいのだが、目的地がわかっているものを敢えて描くことで「描くのがつらい」という潜在意識が働いている気がしてならない。

まだ見ぬ自分の表現が見たいとなれば、不安と同時にワクワクするような高揚感、開放感が味わえるはずである。絵は他者の評価よりも、この気持ちにウエイトがかからなくてはいけない。

私は「描く目的やスタンスがしっかりしていれば絵を描くのがつらいという、もうひとつの意識である他者の評価は二の次になるはずだよ。完成度の高い作品を作りたいというのもわかるけど、絵を描く目的のひとつはまだ見たことのない自分の表現に出会いたいという冒険心、ロマンだよ。自分の絵の第一鑑賞者は自分だから、自分の感覚で遊ぶことを大切にしないとね。

自分のためだけに描いてみたら?絵で遊べば当然失敗も付き物。でもそこから新しい表現が見つかるかもね。それが評価されたら自分の美が認められたことになり本当の充実感が得られると思う。そうしても今までのMさんの描写技術はなにも減らない。失敗するな、上手く描けなんて決して云わないから」

先日の教室ではなんと30号の水彩紙に、たっぷり出したアクリル絵の具で思いっきり落書きのような絵を描き出した。絵は腕で思考すれば「想定内の美」というしばりから解放され、同時に自分をしばっているものからも離れて自由にはばたく。新しい表現を見つける機会を得る。問題は心の持ち方だ。絵ではない。

「もう窮屈な思いをして所謂出来のいい絵を描かなくてはという気持ちは棄てることにしました。たとえ上手くいかなくても絵を描くことは楽しいという境地になりたい」と云った。

私は「曲がり真っ直ぐという言葉があって、道草、寄り道、迷路に踏み込んでしまったりしながらも求める道は見失わないという意味だよ。この道筋には、いろんな景色が待っているからね」と云って笑った。

 

2019年4月 9日 (火)

気まぐれアトリエ日記(1062)・・・自分の目

Img_3188-2生徒のSさんが朝日新聞に掲載された野見山暁治のコラムを束ねて持ってきてくれた。彼の文章は平易であたたかい。教えてやるといった目線は微塵も感じない。以前読んだもので心に残っているのは「絵を描きながらあまりのとりとめのなさに途方に暮れ、時々泣きたくなることがある」

もうじき100才になろうとしているのにこの率直さだ。迷ってばかりの頼りない私の肩をポンと叩いてくれた気がしたものである。このコラムもそうだった。ごく一部を転記して心に留めておきたい。

本格的に絵を描き始めて80年近くになる。なぜ絵を描くのかとよく訊かれる。どう答えていいのか僕もわからない。そもそも良い絵を描こうという覚悟がない。子供の時からずっと描きたい絵を描いているだけで、自分の中では何も変わっていないんだ。ご飯を食べるようにずっと絵は描きたい。実際に描いてみないと次が見えてこない。この楽しみに終わりなんてないんですよ。

中学の時の先生は「よく見て描きなさい」と教えてくれた。でも僕は先生の教えとは違い、ベタベタと塗りたくったような絵を描いた。怒られるかと思いきや、逆に「おまえは私のいうことを聞かなくていい。好きなように描きなさい」といってくれたんです。先生と生徒が対等ということですから。その一言で好きな絵をのびのびやっていいんだと、妙に自信になりました。

高校の時の先生は「絵は省略の方法なり」が口癖。山を望む風景を前に、先生は「山がそっくりキャンバスに入るわけないだろう。それを閉じ込めて無理なく見せるのが省略であり、絵を描くことなんだ」といった。絵はまるで手品みたいだなと思いました。

良い絵とは、その人の世界を作り上げていくことだと思う。母校の中学で授業をしていますが、繰り返し伝えているのは、絵は人と同じものを描いたんじゃつまらない。私という目を通して見ないといけない。もっと時間をかけてモノを見ること。いや、ぼんやり見ることも大事です。

絵を描くことが好きで、ここまでやってきた。でもこのところ本当に描きたいものがまだ自分の中にあるんじゃないかと思い始めた。それを探すために、これまで毎日描いてきたんじゃないかと。

僕の絵は抽象的でわかりにくいとよくいわれるが、誰が見てもどんな絵かわかってもらえるよう、もう少し親切に描くことも必要じゃないかと思っています。100才記念の展覧会を開きたい。まずはそれまで長生きしないとね。

2019年4月 5日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1061)・・・同じ風に吹かれ

Img_2822都田スケッチ教室に通ってくるNさんは70代の男性である。素朴、控えめな性格で口数少なく、いつも黙々と描いている。けっして器用な方ではないが描くことが好きで楽しんでいるという感じなのだ。

スケッチ鑑賞タイムには、よく生徒から驚きの声があがった。上手に描こうとするよりは純粋に楽しんでいる姿勢。だからこそ8年のあいだに発酵するように独自の絵画世界が構築されていったのだと思う。静かで味わい深い心象風景になった。

そのNさんから、しばらくお休みさせてくださいと電話があったのは1月のことだったが、先日手紙が届いた。

拝啓 木々は芽吹き、山は穏やかな春の装いとなりました。久しくご無沙汰をしておりますが、ご健勝のことと拝察いたします。さて1月初めに電話で少しお話しましたが、9月に手術をうけ12月に手術後の確認検査をし3月に再検査を受けました。結果は、近日中に再手術となりました。

絵心は無く、不器用。描く絵は全くお粗末で全然進歩しませんでした。それなのに教室に長年通ったのは、先生と生徒の皆さんのお人柄、先生と生徒の皆さんの機知とユーモアのある会話、そして先生と生徒の皆さんが描かれた絵を見ることが大変楽しかったからです。

展覧会で有名な絵を鑑賞するのは楽しく得るものも多いのですが、その絵を描かれた画家とは一面識もありません。同じ場所で、同じ風に吹かれ陽射しを浴びながら同じ光景を見ながら描いた皆さんの絵は、見つけた対象も描き方もそれぞれ違い、個性があって面白味があって、見るのがいつも楽しみでした。

おそらく教室に戻るのは無理と思っています。ですが都田は自宅から近いので、生徒の皆さんの絵を見に行かれるように、もしかしたら出来るようになるかも知れない。そうなったら是非見に行きたいと期待しつつ、病と闘っていきます。

本当に長い間ありがとうございました。ご壮健でますますご活躍ください。生徒の皆様にもよろしくお伝えください。敬具

読みながらNさんと過ごした都田の日々を思い返していた。8年も一緒にいたのに控えめなNさんとはアドバイスの他はそんなに色々話したことはなく、この手紙で通い続けた気持ちを初めて聞かされた。必ず復帰して、またスケッチ出来る日を生徒と一緒に首をながくして待っていますと返事を書いた。

2019年4月 4日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1060)・・・パンク俳人

Img_2796 50才の時、行動美術のYさんに誘われ銀座で10年に亘りグループ展をやった。そのYさんから「尾崎放哉との対峙展」をやりたいから参加しないかと連絡があったのは、もう4年前のことだ。尾崎放哉とは自由律俳句をつくり、若くして小豆島で亡くなった俳人である。

放哉の句から感じたイメージをそれぞれの絵にして展示しようというものだった。その時、放哉という名前を知ってはいたが句は2~3記憶にある程度であった。読んでみると所謂侘びさびなどという俳味はほとんどなく俳句の常識を逸脱していた。

「咳をしてもひとり」これは前衛としかいいようがない。パンク俳人だと思った。ここから感じたものを心象として表現するのか。裸の放哉を突き付けられ、はたと戸惑ってしまった。「句は人なり」で技巧もないし、上手く作ろうともしていない。云ってみればどう生きているかにかかっているので、生ぬるく生きてきた私などは吹き飛ばされそうになった。

「渚しろい足出し」「墓のうらに廻る」えっこれで終わりかよ!「底の抜けた柄杓で水を呑まうとした」「ひとつの湯のみを置いてむせている」40才の時の句、ジサマかよ!悲しいけど笑えるのが放哉である。これらの句は頭にこびりつき、いつまでも残ってしまう。

「ワタシの思い」が消えているような句にして初めて句としての力が発揮されるんだなあと、その時感じた。「入れ物がない両手でうける」無一物だが両手にこぼれおちそうなほど目には見えない色々なものを受け止めている放哉がみえてくる。素っ裸のままの放哉がいる。

ひと皮剥けば誰の中にもあるが、誰も素っ裸になって語ろうなどとはしないものだ。私の中の放哉はどんな風景をしているのだろうか。放哉は人に問うたり訴えたりする甘さがない。ひたすら己に問い、己をたずねるのみである。

このグループ展を通して放哉を知り、自分の表現について思うところが多々あった。放哉にぶつかっていけば弾き飛ばされる。相撲部屋の親方のような存在なのだ。

 

2019年4月 1日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1059)・・・ホロホロ鳥

Img_31653月31日から銀座ゆう画廊で尾崎放哉との対峙展が始まった。本郷では大分の行動美術会員Iさんも妹さんの陶芸と二人展を会期中なので観にいくことに。新幹線の指定をとったので遅れないように慌てて家を出たらスマホを忘れた。

時刻がわからない、電話がかけられない、地図が見れない。メモが見れない。本郷の画廊はいったことがないがスマホにメモを入れておいたので凡そおぼえている。丸ノ内線で本郷に出て東洋学園大学のそばだったはずだ。

本郷に降りてからがいけなかった。線路と道が斜めに交差していて、どうも反対方向に歩いているらしい。行ったり来たりしながらやっと見つけた。Iさんの作品はシンプルな美しさだった。引っ掻いた線のしたから金や銀が覗いている。アルミ箔だそうで一枚欲しいのがあったが売れてしまっていた。

「そうそうFBで松井クンが井上さんのこと、ようさに訊いてみなって云ってましたけど」「ああ、ホロホロ鳥のことだね」終戦直後の東京芸大時代、芸大の森にサトウハチローと掘立て小屋に住んでいて、上野動物園のホロホロ鳥を焼いて食った話をしたらIさんは面白そうに笑った。

銀座はホコテンだった。ゆう画廊には世話役のYさん、Kさん、鳥取のSさんは飛行機で、大阪のMさんは車を飛ばして駆けつけていた。「放哉の句は侘びさびもなくブッキラボーでパンクだよなー」ひとしきり放哉やYさんの故郷小豆島での展覧会に行った話で盛り上がった。具象、抽象、彫刻と多様な放哉の解釈で面白い切り口の展覧会場になっていた。

帰ってから用事があるのでと会場を後に歩き出したが、爽やかな風に吹かれているうち少し散歩がしたくなった。銀座から日比谷に出て皇居のお濠端を歩くと花見見物の人波にのみ込まれた。もう帰らなきゃと時間を気にしつつ千鳥ヶ淵まで行くと満開の桜の下はごった返していた。今日は日曜日である。

明日は新元号が発表されるんだと思いながら皇居を一周、指定を取っておいた新幹線に飛び乗った。

 

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