2020年7月12日 (日)

気まぐれアトリエ日記(1258)・・・話の暴走

Img_5776-2 どうも描かないことにはイメージが湧いてこない。手当たり次第にカタチの落書きをする。アタマでは出来ず手で思考するしかないタイプなのだ。手の楽しみなしの概念や思考だけで取り組んでも飽きてしまう。

はじめに目的を定め、それに見合う技術をなどということも所詮無理がある。描くことで初めて目的が見えてくる。どうして得られるかといえば落書きから探るとしかいいようがない。アタマがクリアではない分、手に誘導してもらうしかない。

ピカソのゲルニカは夥しい素描の中から生まれたということを知って驚いたことがあった。一枚の作品のためにどれほどのプランを練ったことだろう。絵肌などの触覚的ニュアンスなどに比べ、落書きはヘンなところも含めホンネの自分を曝すことになる。

昔、絵肌の作り方ばかり教えて展覧会では賞をいっぱいさらっていた絵画教室があったが、絵肌などは教えれば誰でも出来る。その結果、みんな同じような匂いの絵になってしまっていた。仮に絵の完成度は高くなったとしても、絵肌を武器にし始めたらそれぞれ独自の工夫はしなくなってしまうのではないだろうか。

太宰治の文章はホンネの自分を曝していて、普通恥ずかしくて云えないことだが「それってオレの中にもあるよ」って共感させる。自分の心を裸にしてみせることで「人間ってなんだ」と問いかけてくる。表現とは答えを見つけることではなく、問いかけるものだと思う。所謂「説明」ではないから、漠然とした想いを象徴化、抽象化、造形化して語るのだ。

俳句というものも、門外漢の私がいうのもなんだが、想いを語ろうとすると躓く。想いなどというものはひとり胸にしまっておき、事象に託してさりげなく語るだけでいい。世阿弥の「秘すれば花」である。

なにを云いたいかというと、イメージの落書きをいっぱいしてみると描きたいものが見つかるよと云いたいのだ。イメージは絵の制作の揺りかご。いきなり素手でキャンバスに向かってはいけない。

「わからないけど惹かれる」という絵がある。そういうものには、手が思考を超えた手探り感がある。「わからない」ということは大事な表現要素で、絵は言葉化出来ない造形言語といわれる所以であろう。

そんな話をしていたらTさんは「教室へは癒されるために来ているのに、もう頭が痛くなっちゃった」と云って帰っていった。よくわかってもいないのに、どんどん話が暴走するのは私のわるいクセだから気をつけなくてはいけない。

 

2020年7月 9日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1257)・・・手鏡

Img_5169-2 もともとの出不精が、このコロナ騒ぎでますます行動範囲が狭くなった。教室秋の各種イベントも様子見状態である。そこで、家で絵を描いてフェイスブックにアップしたりしていることが多い。私のFBは絵友達が数10名程度の小さなコミュニティで、私には、お互いに交流出来るのはこのくらいの人数が限度だろうと考えている。

時々、海外の見ず知らずから友達リクエストが来るのだが、こういう人はFB友達を千人単位でもっていたりするが、はたしてどれだけお互いに繋がっているのかと首を傾げる。お互いに作品を見せ合うことによって刺激を受けたり繋がりを感じるのだ。

FBにアップすると、作品がコンパクトに見えて細部が消え、何をしたかったのかという骨組み、造形が見えるので訴える力の無さが一目瞭然となる。150号くらいを目の前に置くと、まずタッチやマチエールが目に入り、それで出来た気になる。

アップすると弱く見えて直したくなる。今のは無しねと再アップするのも如何なものかと思うが、アップしてみて気づくのだから致し方ない。というわけで、自分の絵を検証するにはFBは便利なツールなのだ。そこで、つまるところオリジナルで大きなカタチによる造形、配色が絵を決定するのだなあと痛感させられる。

昔、せまいマンションで描いていた頃は、大きな絵を離れて見ることが出来ず、そこで一計を案じた。手鏡を持って映してみると左右は反対になるが2倍の距離がとれることになった。FBはその役割をはたしてくれる。

こんな時代だから何がおきても不思議ではない。生きている間に、どんな絵の景色が眺められるだろうかということに一番興味があり、評価などに依存する顕示欲は、そのことに比べればほとんど意識していない。住みにくい世の中ではあるが、命についてもそれほど切実には考えているわけでもない。

誰が読んでくれているのかわからないブログで呟いたり、絵をアップしたりするのは、みてくれる人がいるからだ。基本的には自分のために書いているのだが、みてくれる人がいなかったらブログもFBもそんなにはやっていない。結局、人間はひとりで生きているのではないということだろう。

 

2020年7月 7日 (火)

気まぐれアトリエ日記(1256)・・・アーティストチャレンジ

Kosugiyositake-2 フェイスブック 10日間アーティストチャレンジのバトンを川越の小金さんから受け取った。展覧会も出来にくい時代の企画である。

パソコンには過去8年分の画像データが保管してあるので、どれをアップしようかと調べていたら、これってオレの絵?と忘れかけた絵もあり懐かしかった。知らず知らずに随分変わったもんだ。

眺めていて気づいたことがあった。この頃はあまり破綻はないかわりに気迫も少なくなってきている。気迫とは果敢に攻めている時に出る。歳を重ねる度、いつの間にかマンネリ化してきていて穏やかなのだ。これは何とかしなければ。

ピカソはマンネリズムを嫌った。「美とは用意された美しいもののことではない。心のリアリティに迫った時、突然立ち現れるものだ」と云っている。悲しいかな、絵は描くごとに手慣れていく運命にあり、それとともに気迫が減っていくこともまた事実なのだ。

カタチの追求が緩んだ気がする。未知の素材に挑んだり、絶えず表現の地平を超える工夫をもっとすべきだった。だから昔はもっとあった毒気が少なくなってきたのだ。まだまだトシのせいにはしたくない。

今、制作していることが一番進化の先端にあると思いたいが、そうばかりとも云えない。巨匠と呼ばれる画家でも、若い頃にはいい仕事をしているのに晩年はそのオツリで描いている場合もある。

人間は進歩するもんじゃないなあとつくづく思う。漠然としたイメージをカタチに託すことが一番の大仕事だ。過去の自分の作品に尻を叩かれるなんてどうしたものか。がっくりしながらじっくり眺め、この先を考えたい。

奄美大島で、ひとり絵を描いていた田中一村は「私のたよりない気持は、絵を描いている時だけ引き締まっている」と云っているが、私も表現の壁に体当たりすることで心のバランスをとっている気がしている。

10日間アーティストチャレンジは、もう一度アクセルを踏み込むきっかけを与えてくれた。カミさんにその話をすると「コロナや豪雨で大変な時に浮世離れしてること」と云った。

翌日は教室が休みだったので、仕上げたつもりになっていた150号を一日かけ思い切り潰し、まるで違う絵にしてしまった。鬱憤を晴らすかのように描きまくった絵は、久しぶりに絵の難しさとよろこびを与えてくれた。出来がいいとかわるいとかはどうでもいい。たまにこんな日があるから、絵はやめられないとまらないかっぱえびせん状態になるのだと思う。

 

 

2020年7月 6日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1255)・・・目に見えないもの

Img_5162-2 油彩150号にアマビエを描き始めたのだが、特段アマビエについて語ろうとか、何かを訴えようとしたわけではない。アマビエが登場したのは江戸時代後期、海からやってきた妖怪である。「疫病が流行ったら、私の姿を絵に描き写し人々に見せよ」と告げて去ったという。

得体の知れない流行り病に、治療方法もないままの江戸庶民の不安な気持は如何ばかりだったろうと思う。私の集落にも江戸時代から伝わる疫病封じの祈祷行事「津島さま」が今でも続いている。原因がわかっている現代だってアマビエ様にすがりたくなる気持はよくわかる。その心情が制作の「きっかけ」である。

線が走り躊躇い、描いては消し消してはのぞくその中から浮かび上がってくるもの。なんとはなしに漂う不安は私のツブヤキにすぎない。ひとさまに訴えたいものなどなにもない。明確な意図などなく、私もあずかり知らぬ潜在意識から出てきただけである。

描いているうち、最初の構想からは随分違ったものになった。というか、構想通りに出来たことがなんだかつまらなくなって、どんどん変わっていった。取り敢えず展覧会の予定もないので、完成など求めていなかったのかも知れない。ただ描きたい気持をキャンバスにぶつけただけのことだ。

ジョルジュ・ブラックは「当初の構想が消え去った時、絵画ははじめて完成する」と云った。その気持はよくわかる。ついでにカンディンスキーの言葉も書き出してみる。「絵画の〈内容〉は絵画である。解読されるべきものなどない。どんなカタチにも、生命をゆたかに感じる人には〈内容〉が語りかける」

もう少し先人の言葉を書き出し背中を押してもらうことにする。アンドレ・マッソン「あらゆる芸術創造の中にある果てしなく苦痛に満ち、高揚した動揺。そして必要なのは疑わしく不確実な中にある苦く甘い勇気・・・」

アガム「リアリティとは目に見えないものだ。我々が見ているものはすべて幻影なのだ」

なるほど、リアリティとはあらゆる事象を感慨のフィルターに通し、言葉では説明のつかない言語とすることなのだろう。

 

2020年7月 3日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1254)・・・メモ

Img_1753 昔からチラシの裏が白地だったら落書きをするクセがあった。小学校に入った頃は、布団の中で赤胴鈴之助や丹下左膳を1枚描いてからでないと寝なかった。

小学校の教科書にも落書きをしていたので、オフクロが心配して1年の担任、田辺先生に家庭訪問時にそのことを訊いたら「好きなことはやらせてやってください」との返事で「先生が描いていいって云ってたよ」と笑って話した。それからは更に自由に描くようになった。

オトナになっても落書きクセは続いていて、絵のアイデアのネタを箸袋でもなんでも手あたり次第に描き、取り敢えず菓子箱に入れておく。改めてノートに描こうとすると、かしこまって落書きの自由さがなくなってしまうのだ。

スケジュールや用事も、やたらメモする。アタマのメモリーを軽くしておけば、やっていることに没頭できるからだ。ブログもメモしておくクセの延長上にある気がする。

行動美術浜松の作品合評会で「辻親造先生の話はメモしておくといい」と大庭先生からアドバイスがあった。理解できないことでも云われたままメモしておいたのだが、10年以上も経ってから読むと解かることがあった。落書きメモも後から見ると、これいい!って思えるものが混ざっている。メモは後から効く。

辻先生のことから、絵を教わることは右から左へそのまま受け入れることではないなと感じた。話というものも、納得するための準備期間が必要なのだ。教室ではみんなで賑やかに制作しているのだが、絵は最終的にはひとりでモノを想うことである。

あんな画材を使っているんだとか、あんな描き方しているとか、大勢から刺激を受けてどんなことでもメモしておくといずれ出番が来る。教わったり刺激を受けたことは地下層をくぐり抜けて湧き上がってくる時間が必要だ。

まずは釣瓶(描写力)の前に井戸水(描きたい衝動)が湧かなくてはいけない。いきなり紙やキャンバスを前にして、なにを描こうかと考えても少し無理がある。

誰の影響も受けずにオリジナルなものなどは出来ない。溜め込んだイメージやカタチから発想が膨らみ展開していく。「カタチ」も「文字」もメモは思考回路の入口となる。

 

2020年7月 1日 (水)

気まぐれアトリエ日記(1253)・・・そんなこというもんじゃありません

Img_5148-2 元生徒のIさんが亡くなったと聞いた。もう90代になっていたはずだ。教室に入った時には赤い顔して鼻の頭に汗をかいて一生懸命描いていた。その頃は花瓶に花、コーヒーポット、時計などを配置して描いていた。

画面構成については均等に並べては単調だし、重なり過ぎても窮屈になる。奥行きも地面から筍が生えるように手前から奥へ、床面から描いていこうと指導していた。Iさんは「花のカタチが変わってしまった」と云ってきた。2時間のあいだに開いたのだ。私は「今度、鶏小屋へデッサンしに連れていくから」と冗談を云った。

男性生徒のSさんが裸婦デッサン会で描いたものを持ってきたことがあった。ふたりで、おっぱいとかおしりとか云いながら量感や流れを検討しているとIさんが手招きをした。「ここはどこですか?そんなこというもんじゃありません!」と、Sさんと私を並ばせて説教した。

Iさんに指導していると「そこ今からそうしようと思っていたの」といつも云うので、そのうち私は「まずやってみることだね」と云うようになった。「この頃、手抜きしているんじゃないですか?」と私の顔をまじまじ見た。

昔はオープン教室の終わりにクリスマス会をしていたので、その時のケーキをIさんの家に届けたら、終始うつむいたまま私の顔を見ようとしなかった。教室に来る時は化粧をしっかり決めてきていたのだ。連絡もせず訪ねてしまって悪いことをしたなと思った。

ある時、私の顔写真を貸してほしいというので渡すと、翌週超リアルに描いて持ってきた。上野公園で似顔絵並べて描いている絵描きのようであった。「そのまま遺影に使えるよ」と云うと「そんなこというもんじゃありません!」と叱られた。

教室で浜北森林公園へスケッチしに行った時、夢の吊り橋まで歩いた帰り道「もう歩けない」というので坂道をおぶって戻った。「ああラクチン」と耳元で云った。

みんなで牧之原へ行った時、食堂に入った。Iさんが何か云ったあと、Tさんは「みんないい加減だから。しっかりしていて間違いがないのはIさんだけだよ」Iさんは褒められたのか、けなされたのかよく解らずなんともいえない顔をしていた。ご主人を見送ったあと10年ほどは独り暮らしだったようで、生徒たちは「あんなにしっかりした人とは一緒に住めないよ」と口々に云った。

教室を卒業してから私の携帯に電話があった。「アッ、間違えてしまった。ところでお母さんはお元気?」と、取り繕いながら訊かれたので「順調に弱ってきている」と云うと「母親にそんなこというもんじゃありません!」とまた叱られてしまった。久しぶりに聞いたその言葉が最後となった。

真面目で正直で、なにごとにも一生懸命だったIさんのことは、けっしてきらいではなかった。またひとつの時代が去っていった。

 

2020年6月29日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1252 )・・・未成熟の素人

Img_5146 Img_5145 「これから先は君が人間をどう解釈するかが問われている」と辻親造先生から手紙を受け取ったことがあった。もう20数年前のことだ。人間をどう理解していくのか、その先にどんな表現が出来るのか・・・と続いていた。

よいところも悪いところもさらけ出す表現を目指したい。いまだ問うているばかりで、完成などしない世界が茫漠とひろがっているだけである。私は完成されたアートもいいと思うが「未成熟な素人の絵」も好きなのだ。出来るだけ飾りを剥がした本質的なものが。

本質とは、必ずしも表現の高みに至る道とばかりはいえない迷いの道なのだ。井上盛さんは自分のことを不良老人と呼んだ。ビートたけしは「アートなどというものは不良のはぐれ者がやることだ」と云っていたが、明日こそはとワクワクしながら好き勝手な、まだ見ぬ表現に生きていくことがアートの力をもらうことになると思っている。

今朝、生徒の荒井さんからラインで新聞記事が送られてきた。井上さんと同じクラスで、絵や生き方に薫陶を受けたひとりである。朝日新聞6月29日鷲田清一「折々のことば」であった。

絵というものは、解かるとか解らないとかいう前に、ひと目で見る者に否応なく頭を下げさせるようなものがなければ絵とはいえない。洲之内徹の言葉だ。作家で、無名画家の発掘に尽くした画廊主であった。(※頭を下げさせるとは、心を揺さぶる表現のことだろう)

絵をみるにも、何か基準のようなものを心得ているのが玄人だとすれば、自分はそんなのお構いなしの素人でいたい。「正体不明」で「美意識の瘡蓋を剥がして」くれる作品に出会いたいからと。

ポストを覗くと井上さんから葉書が入っていた。相変わらず絵描きらしい味わいの文字だ。そこにはこんなことが書かれていた。

前略、このところすっかり教室が遠くなっております。先生、奥様お元気ですか。愚生2~3年前から季節の変わり目になると体調不良に。今年はより顕著となり、参ったよ・・・こりゃです。が、近頃は朝夕少し体が馴染んできたのか気力が湧いてきたようです。

先日、久しぶりでカラオケをやってきましてネ、6曲歌いまくって、場所は青竜荘の大広間。歌手は5人、歌い終わるとマイクはアルコール消毒。まずコロナは心配ないようでした。炎さんから7月5日のデッサン会に誘われています。楽しみなんですが体が弱っていますので参加できるかどうか前日まで様子見です。根上り松の諸氏によろしくお伝えください。お元気で描くのを楽しんでください!

早速、井上さんについて書かせてもらった今年のブログを5枚コピーして郵送した。常は離れていても、FBやラインや葉書などでいろんな人たちと繋がっている時代でもあるのだ。

 

 

 

 

2020年6月27日 (土)

気まぐれアトリエ日記(1251)・・・ベクトル

Img_5144-2 教室は6月で22年目を迎え、通り過ぎていった生徒との出会いや別れや試行錯誤の日々などをブログに書いたらFBに松井クンからコメントがあった。数学から発想する松井クンならではのものだった。

〈松井クン〉ベクトルが常に同じ向きなら、力の効果は1となる。角度が変わると、この値は変わる。人間関係でも同じことが云える。人それぞれが持っているベクトルの角度が少しでも違うと力の効果は変わる。

ベクトルの大きさをみな1とすると、二つのベクトルの角度が60度違うとすると力の効果は半減する。もし力の効果を同じ1にするには、どちらかのベクトルの大きさを2倍にしないといけない。このことを利用しているのが人間関係、人間組織。このことを自然科学用語でベクトルの内積というけど、このブログをみて同じように思える。(※途中に私のブログ「自転車操業の日々」のリンクが貼ってあった)

〈私〉先生とか生徒とかの、はっきりした区分のないもみくちゃの教室で、むしろ人生の先輩ばかりだったからいろんなことを教わったよ。今思うとベクトルは示さず、一緒に探そうとしていた気がする。自由にやってみなって。タブーをつくらなかったから、やりたい放題の教室になった。題してアトリエサファリパーク。

異種交流なのに不思議と種を超えて共存の道を見つけたようだ。油彩、水彩、アクリル、具象、抽象・・・同じクラスなのに隣の人とはまるで違う発想で違うことをしながら平気で共存している。あまりの違いに思わず笑ってしまうことだってあるよ。

岡潔博士は「人の中心をなしているものは情であり、数学の発見といえどもまた情緒なのだ」と云ってるけど、ベクトルもまた渡り鳥の本能のようなのかもしれないなあ。ベクトルって対岸へ渡る舟が、流れによって目指す地点が変わるようなものなのかも。だから計算など出来ない。

〈松井クン〉実はみんな意外とこのことに気づいていないようだ。人の気持は天気と同じように変化するし、好みも違う。岡潔先生は人間の心理も解析してた。オイラの昔の精神科医だった鈴木のおぢちゃんにも、芸術科高校にいて理系数学がどうしてわかるのかということも、その人が本来持っている能力だと考えてくれた。

〈私〉学ぶことは答えを見つけることではなく「問い」を見つけることだと思うよ。答えがない以上、オレも含めてみんなで考える。学ぶことはそれぞれが自分で考えることだ。先生も生徒もなく、これがみんなで見つけたサファリパークというベクトルなんだろうな。

2020年6月25日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1250)・・・丸くなった石

Img_0356-3 抽象的な作品を制作しているYさんは、最近舗装道路の亀裂をモチーフにしている。重ねた絵の具の層を削ったりグレージングしたりしながら探っているのだが、本人にもどんな作品になるのかはまだ見えていないようだ。

中学で美術教師をしているNさんも洞窟の壁のような絵肌を、もう一ヵ月以上かけて作っている。二人とも仕上がりはまだ先のようだ。作為を消し、想定をこえたものを腕で探っている。

以前、家の近くに小さな鉄工場があった。その看板は錆びて文字だけ微妙な具合に残っていて、長い歳月が作り上げた美しさがあり、あんな絵肌が作れたらなあと羨ましく思った。内側から変色した色にはかなわない。

道を歩いているとセンターラインの白が剥がれていて、なんてきれいなんだと思うことがある。汚れた壁や朽ちた材木の風合い。草が伸びて、もうじき自然に還ろうとしている廃屋・・・これらは人の手ではなんともならない。所謂美しくないのに美しい。

私も現代アートのハシクレにあって(あまり意識はしてはいないが)アルタミラの洞窟壁画に惹かれている。この壁画からは絵を描こうとした衝動がヒシヒシと伝わってくるのだ。生きることと描くことが一体となっている。

当然ながら天然素材なので色数は少ない。具象画では固有色にとらわれやすいのだが、余分なものをそぎ落とし象徴化された時には色数も整理される。天然素材には草木染めのような深い味わいがあり、抑制された色はマチエールを際立たせ物質としての存在感を浮き上がらせる。

自然の中で風雨にさらされたものは深い色調をしている。漆喰壁、板塀、アスファルト舗装・・・いずれも長い歳月をかけて出来上がったものだ。落剥し風化された痕跡は、なにかを語ったりはしない。説明のいらないもの、そのことが表現のすべてであるもの。そんな絵を描きたいものだと思う。

当然のことながら洞窟壁画は画家によってではなく原始人によって描かれている。お洒落な新しさを求めようとするとどうも恥ずかしくなっていけない。絵はセンスだけではないなあと思う。絵は素人がいい、素人でいいと自分にいい聞かす。

風雪に耐えた存在といえば、井上さんは天竜川で拾って来た丸い石ころに犬や猫を描くのが上手である。川柳にこんな句があった。あちこちを 傷つけ 丸くなった石 転がり続けた石ころも一朝一夕になったわけではなく、見方を変えその歳月に思いを馳せるとまた違ったものに見えたりもする。

 

 

2020年6月24日 (水)

気まぐれアトリエ日記(1249)・・・自転車操業の日々

Img_6587 Img_6240 Img_6224 教室は6月から22年目に入った。もうそんなにたったのかとビックリするほどの歳月が流れた。思い返せば色々なことがあった。生徒は一人ひとり教室を訪ねてきてくれたのだが、特に出会った時のことをよく覚えている。

Sさんは教室を始めた頃に一度訪ねてきたが、それきりだった。5~6年たってから入りたいと云ってきたので「あの時はどうしたの?」と訊いたら「だって先生はまだ子供っぽくてたよりない感じだったんだもの」と云った。

教室を始めた時、最初に訪ねてきた男性のNさんは、撚糸工場を経営していると云ってから「ワシは昼も夜もヨってクダマク人生だ」と笑った。絵を習いにきたのだが、まずはなにをしようかと二人で顔を見合わせたことを昨日のことのように思い出す。そんなNさんも数年前に亡くなった。亡くなる数か月前に息子さんの車で訪ねてきてくれ「楽しかったなあ、ありがとうありがとう」と私の手をいつまでも握って離さなかったその時の顔を思い出す。

その頃入ってきたSさんは漫才師のような面白いオバサンだった。「先生、そんな真面目な顔してないの。こうやってイーゼル立てて昼間から音楽聞いていられれば上品な気分になれる。それだけでいいから私には無理に教えなくたっていいよ。先生には、こんなふうでも生きてこられたっていういい見本見せてやってるんだから」そのSさんも昨年亡くなった。

教室中に友達から電話がかかってきたIさんは「あらOちゃん!うんわかった、すぐ行く」と玄関でそそくさと靴を履いている。「どこへ行くの?」「友達がデパートにいるって云ってるの。買いたいバッグあるから見てほしいんだって」マイペースなIさんも数年前に亡くなった。

始めた頃は生徒をどう引っ張っていこうかと考えていた。まずは自分で描いてみて一緒に成長していければいいかなと思った。昨日描いてみて感じたことを今日は話しているといった按配で、こりゃどうも絵画指導の自転車操業だよなと思ったものだ。

絵は少し教えたかもしれないが、生徒たちにはいろんな生き方に刺激をうけた。94歳になる井上さんには絵ばかりではなく、酔狂の道についても薫陶を受けた。宴会ではチャップリンに扮装し、赤いドレスの人形と踊ったり番場の忠太郎では緑の絵の具を顔中に塗ってすごんだ。手抜きをしない芸達者ぶりが可笑しくて、おなかを抱えて笑った。今でも井上さんはバリバリの現役で頑張っている。

目を閉じると教室を通り抜けていった様々な人たちの顔が次々浮かんでくる。21年という歳月はけっして短くはなかった。

 

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