2018年10月19日 (金)

気まぐれアトリエ日記(993)・・・横須賀ちっちゃな文化展

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掛川市在住のOさんとは、毎年開催される浜松美術協会展の準備作業で知り合った。ひときわ大きな体は、相撲とか格闘技にむいているんじゃないかと思わせるほどだ。
高い展示壁面も、脚立なしにフックを掛けることが出来るので作業がはかどった。Oさんとはその会期中しか会うことはなかった。

今は農業をしているそうだが、周辺は猪による農作物被害が多く、捕獲する檻を設置して、その様子をFBにアップしている。そのコメントには、気の毒だが致し方ない葛藤のようなものが軽妙な文章で書かれてある。

今年の浜松美術協会展の時、Oさんから「第20回横須賀街道ちっちゃな文化展に出品してください」と云われていたのだが、はっきりした返事はしていなかった。大須賀町横須賀は横須賀城の城下町で、古い町並みがそのまま残っているところだ。

先月Oさんは、その文化展のパンフレットを手に私の家を訪ねてきた。パンフレットには、なんとすでに私の名前が記載されていた。

「50号2枚と小品4~5枚貸してください。私の車で預かっていって返却までやりますから」Oさんの素朴で柔らかな物腰に「じゃあ用意しておくからよろしく」と返事をした。Oさんは毎年、駐車場の整理係をしているので作品を観る時間はないですと云った。そういう人柄なんだなと顔を見て感じた。

以前、ブラブラ歩きながら観て歩いたことがあった。街道筋にある家の軒先や部屋、土間を借りて絵画、工芸、陶芸、彫刻などが展示してあり、美術館や画廊で観るのとはまた違った趣きがある。

街道の西のはずれに横須賀城址、その向かいの松尾町公民館に浜松美術協会の展示スペースがある。すぐ横が城前駐車場なので便利だ。

会期は10月26日27日28日の3日間。22日~24日の教室スケッチ旅行から戻ったら一日のんびり歩いてみたい。

2018年10月17日 (水)

気まぐれアトリエ日記(992)・・・奥浜名湖で

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寸座ギャラリーの村上さんからは何度か個展やりませんかと云われていたが、展覧会やイベントが立て込んでいて「もう少し余裕ができたら」と保留してあった。

昨日パソコンのEメールに「来年4月か5月あたりに個展どうですか?」とあったので「うーん、その頃は一番忙しい頃だから、もう少し後でないと無理」と返事をした。

来年に入ると、玉庵展、都田協働センターまつり展、ホテルコンコルド浜松ギャラリーユトリロ展、秋野不矩美術館現代作家美術展、銀座ゆう画廊尾崎放哉との対峙展、新国立美術館NAU展、教室展、浜松美術協会展と続く。

「10月か11月は空いてますか?」とメールしたら「11月にお願いします」と返事がきた。村上さんは以前からFBをみてくれていて、水彩スケッチの個展をやってほしいと云われていたのだ。

奥浜名湖寸座にあるレストラン・フランセはギャラリーを併設しているので、知り合いの個展に時々出掛ける。入口側のスペースはギャラリーになっていてレストランとは分けてあり、奥のレストランからは浜名湖が見える。

眼下にはヨットハーバー、その向こうに東名浜名湖橋、右手に東名浜名湖サービスエリア、対岸には舘山寺温泉の観覧車が見える、丘の上に建つ静かなレストランだ。

ここに座ると、いつもユーミンの「海を見ていた午後」のメロディが頭のなかから流れてきて思わず口ずさんでしまう。個展を観に行った時にはフレンチの黒鯛が美味しいのでよく注文する。

個展は日程を決めてしまわないと腰があがらないから締め切りは必要なのだ。ほっておくと多分やらない。私の描くところは都田周辺の里山風景で、ちょっと空いた時間にスケッチしてくるので作品は沢山ある。駄作の山から選べば、ある程度は揃うだろう。

生徒からは「頑張って沢山描いたね!」と云われるが、好きなことをしているだけなのであまり努力したという感じはない。四季の移ろいを感じながらスケッチするのは至福のひとときなのだ。

2018年10月15日 (月)

気まぐれアトリエ日記(991)・・・哀しみのようなもの

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朝、構想をあれこれ練りながら150号のキャンバスを地塗りした。そのあと、NHK日曜美術館を見ようとテレビをつけた。新聞のタイトルに「高さ3メートル巨大な絵画に挑む画家」と書かれてあったからだ。

その作家は遠藤彰子のことだった。ちょうど、脚立に昇ったり降りたりしながら木炭で500号の骨組みを描きだしたところだった。描きながら「下図を100枚ほど練ってから始めています」と云った。これは完成までの制作過程をすべて見せるんじゃないかと私は膝を乗り出した。

イエローオーカー系の地塗りの上に木炭で細部まで描いている。ここまででも大変な作業だ。そのあとパレットにホワイトをたっぷり出して明暗の調子をつけ始めた。

「絵にダイナミックな流れを与えて動くようにしたい」これを細い筆1本で描いていくという。次第に大きなうねりが現れてきた。絵を大きく作りたいが、絵の具を刷毛などで「塗る」作業が嫌いなのだ。無数の「描く」作業の繰り返しにより絵に生命を与えようとしている。

北斎、神奈川沖浪裏のような白い波涛から船が見え隠れし出した。波間に沈みかけた船から人々が手をつないだり離れたり、渦の中に吸い込まれたりしている。

「描き終わる時に哀しみのようなものを感じれば筆を置きます」と云った。メッセージを押し付けてはいない。言葉に置き換えられない無意識の底で漠然としたある感覚を、観る人と共有しようとしているのではないかと感じた。今という時代に乗り合わせた人々とだ。

抽象性、象徴性はそのためのツールに使っている。具象的要素を非現実な造形に託して描く。混沌としていて割り切れない感覚を大事にすることが「哀しみのようなもの」の正体なのだろう。

目に見えない「なにか」を描くことは具象にみえても抽象だし、抽象のなかにも作者にしかわからない具象が隠されていることだってあるだろう。具象抽象を分けて考える必要もないなと思った。

番組が終わってからもう一度アトリエに戻って、はやく地塗りが乾かないかなあと思いながら、なにも描いてないキャンバスをしばし眺めた。

2018年10月13日 (土)

気まぐれアトリエ日記(990)・・・50数年ぶり

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親父の従妹の子供Tさんから電話があった。子供の頃、何回か一緒に遊んだ記憶はあるが、以来50年以上会ったことはなかった。父親の転勤で九州へ行ったと聞いたことがあったが、それきりになっていた。

「今から寄っていい?」急なことなので「なにかあったの」と訊くと、ちょっと挨拶にと云った。たしか私より2才下のはずだが面影が残っているだろうかと玄関を開けたら、昔とちっとも変わらない顔でニコニコ笑いながら立っていた。子供の頃も可愛かったが相変わらずの柔和なハンサムボーイだった。

「福島の猪苗代湖にあるホテルLに28年務めたけど、今度奥浜名湖のホテルLに通うことになったから」と云った。風の便りでホテルの支配人をしていることは聞いたことがある。「東日本大震災の時は福島にいたんだよねー」「凄い揺れだったよ。それからはお客さんが激減して苦しい時期が長く続いた」

「ところで、おばさん亡くなったんだってねえ」「もう2年になるよ」「ブログ読ませてもらってたんだ」私の身辺の事情はよく知っているわけだ。「ギャラリー双鶴の個展、浜松に戻っていた時だったのでみせてもらった」えー、気が付かなかったなあ。

「Tちゃん、たしか絵を描いていたよねえ」「うん、福島に転勤する前までは全国公募のS展で会友だったんだけど中断しちゃった」S展は日展に属する美術団体である。「出品作は油彩150号を描いてたんだ」

親父も絵が好きだったが、やっぱりそっちの血統なのだと思った。「時間が出来たらまた描きなよ。うちの教室にもS展の出品者がふたりいるから。趣味の会は利害関係がないから気楽に付き合えるよ。別に教室に入らなくても話は出来るから」

子供の頃に戻って話は尽きなかった。「また寄らせてもらうね」と云って福島の饅頭を置いたので、私は昨年作った画集を手渡すと熱心に眺めた。

饅頭の包装紙を見ると賞味期限が迫っていた。そうか、それもあって急にうちに寄ったのかと合点がいった。

2018年10月12日 (金)

気まぐれアトリエ日記(989)・・・美庵より

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ギャラリー美庵の内藤早苗さんから、先日のギャラリー風個展について手紙が届いた。

前略 ギャラリー風さんでの個展を拝見させていただきました。ダイナミックな作品で見応えがあり、とても感動いたしました。会場に作品集を置いてくださり、ありがとうございました。(※作品集は昨年、美庵で作成した)

以前、小杉先生の作品集を購入されました川口邦子先生に案内を出しましたら、興味を持って会場に行かれたようでした。ギャラリー風さんに行かれた帰りに美庵にも立ち寄っていただきましたが、ちょうど私が留守にしていましたのでメモを残してくれていました。

「小杉義武さんの個展案内葉書ありがとうございました。色彩の中から、かすかに人の顔とか身体とかを出現させる技術的なところをみてみたかったのです。色のせめぎあいと! 川口邦子」 と書かれてありました。

さすがに作家さんの観方は鋭いなと思っていましたら、先日の行動展の小杉先生の出品作「オトコとオンナ」を見た時に川口先生の言葉を思い出してハッとしました。川口先生は現在開催中の「自由美術展」に出品されております。

余談ですが、小杉先生にメールを送信しようと思いまして、ホームページを検索しました。そのブログにNAU展推薦のことが書かれてありましたが、NAU展は今一番のっている団体だと思います。展示の方法も大胆で度肝を抜かれます。

小杉先生の新たなチャレンジにはぴったりだと思います。観る私たちにも新しい刺激を与えてくれます。今後のご活躍、楽しみにしております。今年は災害の多い年となりました。静岡の停電は大丈夫だったのでしょうか。

お手紙拝見しました。先日の個展にはお越しいただきありがとうございました。あの日は行動展受賞会議でギャラリーを離れておりまして、お目にかかれず失礼しました。芳名帳でお名前は確認しておりました。川口さんのご署名もありました。大勢の皆様に観ていただき感謝しております。行動展もご覧いただき、ありがとうございました。NAU展につきましてはまったく知識がありませんでしたので情報をいただきよかったです。

先日の台風停電、私のところは12時間程度で復旧しましたが、4 ~6日間停電したところも多く、大変でした。ご心配いただき恐縮です。取り急ぎお礼まで。

2018年10月10日 (水)

気まぐれアトリエ日記(988)・・・無人駅で

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このところ都田スケッチ教室は雨が多い。先週も雨が降り出しそうな空模様だった。それでも生徒は外で描きたがっている。では降ってきたら天浜線都田駅のホームで雨宿りしながらスケッチしようということになった。

最近、駅の近くに自然を活かしたお洒落なレストランやショッピング街が出来たので、駅は若者たちの乗降が多くなった。線路を骨組みに雨の景色をそれぞれの手法で描いていたら、電車から何人かが降りてきた。その中に都田在住の版画家、鈴木敏靖さんがいた。物静かな紳士で、秋野不矩美術館の現代作家美術展では何回か一緒に出品させてもらったことがある。敏靖さんはどこの団体にも所属していない作家なのだ。

10数年前、佐鳴台の画廊で敏靖さんの版画を買った。その時は、この人がどういう人なのかも知らず、勿論面識もなかったが、作品に心惹かれた。

セピア調の版画で、まんなかに大きな四角形があり、よく見ると縦横無尽に無数の線が走っている。シンプルな構図だが刷り重ねによるマチエールが深い陰りを落としている。一体何色刷り重ねているのだろうと見入ってしまった。

完全抽象だから意味など探しても見当たらない。何も語らないことのなんと豊穣な味わい。視覚から純粋に私の感覚を揺さぶってきた。造形の工夫は隠し味となって楽しませてくれる。

その後、浜松田町の静銀ギャラリーでの個展を観た。30号くらいのモノトーン版画が20点ほど展示され、静かに深く語りかける敏靖ワールドだった。

無数の線がうねり沈黙し、知的で情熱的。一方、奔放で大胆な構成に圧倒され、私は思わず唸った。同時に焦りのような戦慄を感じた。

ホームでしばらく話をして「じゃあまた」と無人改札を通る時、敏靖さんは「いつか二人展が出来たらいいね」と云った。私は間髪を入れず「いいですねー!」と返事をした。

敏靖さんの作品と並んでも見劣りしないようなものが描けた時には是非お願いしたいものだと、傘の背中を見送った。

2018年10月 8日 (月)

気まぐれアトリエ日記(987)・・・夕焼け雲

松井陽一郎クンからFBに投Img_2084稿があった。「この歌って千昌夫が歌ってたみたいだけどケッコーいい歌だよ。今の時期にちょうどいいから聴いてみて」タイトルをクリックすると島津亜矢が歌う「夕焼け雲」が流れてきた。

「夕焼け雲に誘われて 別れの橋を越えてきた 帰らない 花が咲くまで帰らない (中略) あれから春がまた秋が 流れて今は遠い町 帰れない 帰りたいけど帰れない 夕焼け雲のその下で ひとりの酒に偲ぶ町」

〈私〉 最近、演歌ってあんまり聴かないなあ。自分の中にある湿っぽい情緒が見透かされているみたいで、なんとなくくすぐったい気分になる。この「夕焼け雲」の張りつめた歌声には、つっぱった哀愁があっていい。ようさ美深町を思って聴いた のか?

〈松井クン〉 そうだよ。この曲がぴったり合う。ふるさとを思う気持ちは、やっぱり変わんネーなあ。もう美深は朝方、霜が降りる頃になった。今月、美深町出身の仲間が集う「東京美深会」に行ってくる。もう30年の付き合いになる。

私は井沢八郎の「ああ上野駅」や「男傘」みたいに、やせ我慢の歌が耳に心地いい。上野駅前に「ああ上野駅」の歌碑が建った時、西郷さんの銅像もいいけど、上野にはこれだよなあと思った。誰にも知られず認められもせず、この駅から小さな物語が始まった無数の人達の思いが詰まっている歌碑である。

40年前に初出品した時、行動展は上野の都美術館で開催されていた。上野駅に降り立った時の初心な気持ちは今でも覚えている。20数年前、会員になってからは東上野キムチ横丁のビジネスホテルに泊まり、公園口のレストランで朝定食を摂り審査に向かった。審査が終わるとアメ横のガード下で食事をし、浅草両国あたりまで歩き、墨田の川風に吹かれてホテルに戻った。

もうひとり好きな歌手がいた。三橋美智也がひと声張り上げると、その声に含まれる日本的情感は、生きることへの感慨のようなものとなって心に沁みる。

それは説明を超え、例えばゴッホの狂おしいタッチにも通じる生きることへのいわくいいがたい哀感となって迫ってくる。「夕焼け雲」を聴いてようさもそんな思いになったのだろう。

2018年10月 6日 (土)

気まぐれアトリエ日記(986)・・・メモを残す

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浜松美術協会では毎年、会員向け機関紙「はまかぜ」を発行している。生徒で編集部のKさんから先日寄稿を頼まれ、さて何を書こうかとしばし考え、以下のような内容に纏めてみた。

名古屋在住の画家、辻先生と出会ったのは行動美術浜松が開催した作品合評会の時だった。その後毎年講評をしていただいたが大変辛口の先生で、褒められたことなどなかった。

ある年の合評会で私の絵にこう云った。「君は出来のわるい子供を持った親のようなものだ。この子供は将来出世したり金持ちになったりはしないだろう。しかし子育てに打算などない。一生懸命手塩にかけて無償の愛情を注ぐ。これが君に出来る唯一の道だ」

「君が年をとった時に、ああ絵があってよかった、充実した人生だったと思えるような生き方をしろ。その積み重ねで報われればそれでいい」また「他人の気まぐれな脳ミソに自分の価値を預けて一喜一憂するような愚かなことはするな」とも云った。話の終わりには「私のいう話を鵜呑みにするな。いいバッターはコーチのいうことなどいちいち聞かず我流を貫いている。どう打つかは自分で工夫して考えろ」と云った。

「私は今、具象抽象の間で揺れています。どっちが合っていると思いますか」と訊くと、一言「死ぬまで迷え」とこたえが返ってきた。その時私は、なんて不親切なオヤジだと憤慨した。しかし今では、迷っていてもいいんだよと聞こえるようになってきている。

これらの言葉は、その時すぐ受けとめられたわけではない。先輩からは「理解できないかも知れないから取り敢えずメモを残しておくといい」と助言があり、書き留めておいたものを後日反芻し、なるほどと感じ、受けとめた言葉なのだ。

晩年の先生は耳が遠くなり、筆談でのやりとりになった。私が行動美術の会員に推された時「お世話になりありがとうございました」と書いて渡すと「もう誰も君のことをわるく云う人間はいない」と書いたメモが返ってきた。もう口出しはしない、自分で切り拓いていけと云っている。これで安心するな、面当向かって悪くは云われない孤独な一人旅が待っているぞ、とも聞こえた。

先生が亡くなって久しい。時折思い出すこれらの言葉は、気がつくと私が考えたごとくに教室で話していて、ひとり苦笑することがある。

2018年10月 5日 (金)

気まぐれアトリエ日記(985)・・・現代アート展

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ポストに展覧会の出品案内が届いていた。以前はいろんな出版社から絵の掲載勧誘があったので、この種の話には慎重になっている。

最近は来なくなったが、昔新聞1ページを買い取った業者がコマ切れにし、1ワク絵を掲載しないかとよく電話で勧誘があった。新聞は日が過ぎれば新聞紙になる。私は「折角だけど結構です」と断る。この「結構です」が、まずいらしい。

「了解しました」と勝手に解釈されて困ったという話を聞いたことがある。やんわり断っていると、しつこくからんでくる。この業者には閉口しているとO先生に話したら撃退法を伝授してくれた。

「先生ですか」「いえ、それは兄ですけど、またなにかお宅に迷惑をかけましたか?兄は踏み倒しの名人でして・・・」O先生のいう通りに実行したら、話している途中に思い切りガチャっと切られてしまった。というわけで、どんな会なのか届いた書類を読んでみた。

あなたが発表された銀座ギャラリー風での個展に9月12日伺いました。作品大変よかったです。つきましては来年2月に開催するNAU展に推薦します。NAU展は既に実力を認められたメンバーとNAU推薦委員によって推薦を受けた作家、海外から推薦を受けた作家、及び公募によって選抜された作家によって構成される展覧会です。

所属団体や作品の傾向に関わらず、優れた作品を制作する作家の発表の場であり、21世紀の表現を追及する場でもあります。普段、個展でしか発表しない作家の作品も一同に見られる、広い意味での現代アートの展覧会です。また国立新美術館での展覧会とは別に海外展の開催等、作家が活躍できる場を提供しています。NAU展は出品料で運営しています。推薦を受けた作家の皆様にもご負担をお願いしております。

この会の創立者、吉村益信は荒川修作、篠原有司男、赤瀬川原平らとネオダダを結成した人物。作家には現代アートをリードする面々も参加している。

教室でこの話をすると、Tさんは「もう少し若ければねー。今からじゃもう遅いかもね」と云った。上昇志向などはないけど、いつもと違う連中の中で、また違う刺激を受けるんじゃないかと感じたまでのことだ。肩書などは関係なく、あくまでも作品本位で発想している。

搬入出業者、運送業者とも手順、方法を確認出来たので、今日出品表を投函しておいた。もう若くないと云えば若くはない。でも、まだまだこれからだと思えばこれからなんだよ。

2018年10月 1日 (月)

気まぐれアトリエ日記(984)・・・難民

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台風24号の進路が気になっていた。夕方になって、どうも名古屋あたりを通過するらしいことがわかった。夜中になると強風で家がギシギシ軋みだした。外で何かが倒れるもの凄い音がした。が、窓を開けることも出来ない。
テレビでは浜松の瞬間最大風速42メールと云っている。凄い風のあと家が揺れて停電してしまった。

こんなのは子供の頃の伊勢湾台風以来だ。その時も家が軋んだので、私は必死で柱を押さえていた。子供の手で押さえてどうなるものでもなかったのだが。

翌朝、庭に出ると2階の雨どいが外れて見当たらない。回覧板入れも新聞受けもすっ飛んでどこかへ行ってしまった。庭の藤棚の下に大きな波トタンの屋根が落ちている。隣に訊いたら、2軒隣の家の物置の屋根が行方不明だと云っているそう。100メートル以上離れたところから空を飛んで来たのだ。

生徒から次々電話があって信号が止まっているという。マンションに引っ越したKさんから電話があった。「車が出せないからお休みします」「故障?」「いえ、駐車場の自動昇降機が停電で動かないんです」便利なものはこういうことが起きる。

教室が始まってから生徒のOさんから電話があった。「うちの屋根が飛んじゃった」「ヤーネー」「そんなこといってる場合じゃないよ」電気が止まっているからアトリエは薄暗い。Kさんがトイレに行って「電気ついたー!」と大きな声を出した。12時少し前だった。

隣の家のAさんが葡萄を持ってきてくれた。「葡萄棚が潰れて、木も一本折れちゃった。3~4日置けば甘くなるはずだから」

夕方、屋根が飛んだといっていたOさんにどんな具合か電話したら「まだ電気通じないし、屋根もないし、コンビニ行っても食糧が空っぽで、もう腹へって難民状態だと笑っている。Oさんの紹介で我が家の草取りパートをしてくれているIさんとふたりでいるという。Iさんには育ちざかりが3人いるのだ。

「ウチへ取りにくればパンとかハムとか牛乳、バナナ、缶詰が3日分くらいはあるから」ふたりはすぐに車で来て「やったあー」いかに凄い台風だったか、ひとしきりワーワー話して帰っていった。

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