2018年1月20日 (土)

気まぐれアトリエ日記(880)・・・まいっちゃうなもう

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2月末に個展があるのだが多忙で制作がすすんでいない。特に油彩はノーアイデアから1作づつ作っていくタイプなのでキャンバスに向かわないと出て来ない。楽しみながら制作してはいるのだが押し迫ると心細くて孤独なのだ。0号をFBにアップしたらFB友達から以下のようなコメントがありちょっぴり元気をもらった。

〈私〉 2月の個展作品がまだ出来ていない。まいちゃうなもう。お手上げの自画像。〈折金さん〉 お手上げですか。僕には小さなバンザイ「今は言えないけど、なんだかわかったような気がする」という密かなバンザイに思えました。

〈私〉 まいっちゃうなと云いながらプレッシャーを楽しんじゃう、ちょっとしたたかな目つきしてますよね。修羅場をいっぱいくぐりぬけてきたオッサンの目つきです。

〈村上さん〉 目がきれいで、いいですねー。〈私〉 自画像 です・・・

〈野ばらさん〉 わたしには小さな賢い男の子に見えます。〈私〉 昔 そーでした。

〈小金さん〉 修羅場をくぐり抜けたとか羨ましいです。何時までも修羅場の棘に引き留められています。〈私〉 修羅場は何度でも押し寄せてきます、波のように。そのうち修羅場が来ないと物足りなくなったり、修羅場が快感になったりして、まるで麻薬みたいに。ダメモトのモウケモノだと居直ったオッサンにはコワイものなどもうないはず!・・・かな?

〈小金さん〉 ウーン達観してる。降参です。修羅場が常ならば荊の上もチクチクと心地よきかな。〈私〉 ウーン 字余りながらお見事な一句!

〈斎藤さん〉 色合いがいいですね。とてもいい色を使われていると思います。〈私〉 ありがとうございます。ローラーとグレージングで色を重ねています。

〈松井さん〉 あっ、これ「阿波踊りしている自画像」ずら。でもお、義武おぢちゃんのコメントを意識すると「困ったな~踊り している自画像」もありそうずら。節は ♫ハー困ったなあ困ったなあ~ こりゃこりゃこりゃこりゃ困ったなあ~ こういうときはのうのさまに きくのがいちばんはやいずら~♫

〈私〉 同じアホなら踊らにゃソンソン♫利口ぶってもけっこうバカで、深刻ぶってもかなりのまぬけ、しどろもどろを絵にかいたようなオッサン絵描きとはオイラのこと~ず~ら~よ~♪あらっ!茶っきり節になっちゃったず~ら~よ~♫

2018年1月17日 (水)

気まぐれアトリエ日記(879)・・・野風僧

生徒のTさんは水彩画Img_1133_2のベテランで、中央公募展に長年入選してきたが最近は出していないようだ。審査の目を気にしなくなった分、自由に描けるので自分のために描き始めたと思っている。

先日の教室に30号大アルシュ紙を水張りしたパネルを持ってきた。先週エスキースしたものを制作するつもりらしい。中央にヤギの横顔、背後に十字架、下方に人物が。Tさんは敬虔なクリスチャンである。公募展とは随分違う半抽象作品。朱赤と青のたっぷりした色面にしようと水彩筆で塗るところだ。

私はホームセンターで買った使い古しの固い筆を渡し、カサカサ落書きのように塗ってみればとアドバイスした。広い面積はタッチ、絵肌がないと、ただ塗り分けただけではつまらない。

水彩画は汚してしまうとなおせないから、どうしても失敗しないようにと慎重に進める。水彩だって失敗覚悟で挑戦してこそ美の発見がある。描き始めは無造作なタッチぐらいが丁度いい。繊細なタッチはあとからいくらでも描ける。

昨年亡くなった男性生徒のNさんが宴会でよく歌っていた野風僧は「いいか~オトコは~ナマイキぐらいがちょうどいい~」大人になれば行儀ぐらいは自然におぼえる。まずは元気が一番だ。

ガサガサとムラに塗った紅赤の上に朱赤や赤紫などをポタポタ垂らしている。そのうち青い面には筆でグルグル円を描き、更に手のひらで擦りはじめた。勢いのある色面になった。絵だって書道のような気迫のある筆さばきが必要なのだ。頭で想定した想いなどはるかに超えたもの。平面の上に絵具によるシミをどう工夫するかが絵にとって一番大事な芸である。自分を超えるには道具を変えてみることだ。

お行儀のいい描き方の範囲ではまだ見ぬ表現を探ることは出来ない。汚れた美だって破天荒な美だって美は美だ。描きすぎた部分は激落ちスポンジで擦り落として再挑戦すればいい。

自分の絵がどう変わるかを楽しもうとする人や、人の評価を離れ純粋な気持ちで絵に挑戦する人は美の発見の前線に立つアバンギャルド(前衛)だ。

2018年1月14日 (日)

気まぐれアトリエ日記(878)・・・パワースポット

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「浜松東照宮って日本有数のパワースポットだってね!」と生徒のTさんが云った。へー、そうなんだ。ホテルコンコルド浜松の道を隔てた東の森にあることは知っていたが、まだ行ったことはない。

そんな近くにパワースポットがあるなら散歩がてら行ってみるか。浜松城下の駐車場に車を停めて歩くことにした。大河ドラマ直虎も終わり駐車場は比較的空いていた。ホンダディーラーの横の細い道を上がると左手に東照宮が見える。日光や久能山と違い、こじんまりした社である。

入口の立札には次のように書かれていた。家康公は浜松城に17年住んだ後、江戸幕府の初代将軍となった。天保の改革を行った水野忠邦を始め浜松城は要職に就く人物を多数輩出した。ついた名前が「出世城」浜松東照宮には400年以上前から出世のパワーが宿っている。

龍吐水で手を濯ぎ社へ。賽銭を投げ柏手を打つ。境内向かって右手には家康と秀吉の像が並んでいる。磯田道史氏の文章によるプレートには「家康は三方ヶ原の戦いで武田信玄に挑む時、ここ東照宮(旧引馬城)から出陣した。武田信玄に領土を侵され危険を案じた織田信長から浜松を捨てよとの命令が出たが家康は、我もし浜松を去らば刀を踏み折りて武士を止むべしと云い放ち、命令を無視して踏みとどまるが大敗北した。

戦さには負けたが武田軍を城まで踏み込ませることなく撤去させた。今川や織田の命令を離れ、初めて自分の意思で戦い、浜松城を保って領土領民を守り抜いた31才の姿である。

また秀吉は武士になろうとして尾張の国より針の行商をしながら主君を探す旅に出た。浜松馬込川のほとりで豪族松下嘉兵衛に出会い、引馬城まで連れてこられた。引馬城主飯尾氏の宴会で猿の物まねをして栗を食べ、気に入られ武家奉公が叶い16才から18才までの3年間を過ごした。その後、尾張に戻り信長と出会い、ついには天下人となった。

ホンダの創始者本田宗一郎氏も戦後東照宮の下で自動車修理業を営み、世界のホンダに駆け上がった。グラミー賞をとり海外でも活躍しているピアニスト上原ひろみの実家もすぐそばだ。

境内からは浜松城がよく見える。久しぶりに温かく穏やかな日だった。私は今年の元気をいっぱい戴いた気分で細い坂道を下った。

2018年1月13日 (土)

気まぐれアトリエ日記(877)・・・新年会

年始めの鴨江教室は恒例の新年会Img_0249ランチタイムからだった。鴨江、山の手住宅街にある隠れ家的な小さな和食の店だ。生徒は女性ばかり6名、もう10年以上通っている人達だが、2人は40年以上前からの知り合いで昔の話になった。

演歌歌手のTさんは当時、音楽事務所を経営していた。音楽祭のプログラムやパンフレットの打合せに朝、自宅へ行くとまだ寝ていて、いつもパジャマ姿のまま出てきた。事務所の方にはスエーデンから来たばかりのリリコが留守番をしていて色白無口な彼女とカタコトで話したことなどで盛り上がった。

そこから、私が20代の頃勤めていた印刷会社の話になった。デザイン部には10人ほどの先輩がいた。朝30分ほど早く行って先輩達の筆洗をきれいにしたりしていると先代の奥さんのツヤさんが来て、いつもポケットに200円黙っていれていく。

「そうそうツヤさんはポケットに飴を入れていて、いつもくれた」とTさん。「エッどうして知ってるの」「長唄のお稽古でいつも一緒だったから。肝っ玉母さんだったよね」私は「先輩から聞いた話だけどさあ、ツヤさんは電車に乗って営業してたけど、冷房の効かないお見合い電車が暑かったので服を脱いで上半身スッポンポンになっちゃたことがあった。一緒に座っていたオレはすごく恥ずかしかったって云ってた」ツヤさん50代の話だと思う。

その頃、同じ絵画サークルに入っていたNさんは「みんな貧乏だったけど黙々と人物デッサンしてたよね。リーダーのHさんも華奢だった。食パンで木炭を消しながら半分は食べてた。いつも買う店の娘さんが栄養失調みたいなHさんに、食パンへジャムを挟んでくれたことがあって、これじゃデッサン消すのには使えないって複雑な顔して食べてた」

「あの頃は青春だったけど、いいことばっかりじゃなかったよね」とNさんは続けた。若い頃は仕事や生き方、異性など何もかも初めて出会うことばかりで戸惑い、胸がチクチクすることの方が多かった。

「今の方がなんだかゆとりがあって人生楽しめる気がする」と私。Mさんが「私も70才を今年初めて経験してるから70才の初心者だよ」「なるほどねー、そう考えると私達の今は青春かー」とみんなで笑い、絵は描かずにお開きとなった。

2018年1月 9日 (火)

気まぐれアトリエ日記(876)・・・絵がみたい

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FBに友達リクエストがあった。画面いっぱいにジャーンと派手な色で以下のようなコメントが書いてある。

「生まれ故郷を血縁と前夫から逃げてきたために、実名はおろか居場所も明記できません。先生に友達申請をしましたが、これを見てくれたら許可してください。先生の絵がみたいです」

そういえば前日、携帯に「出所不明な友達リクエストがあります。確認のうえ判断してください」との警告メールが入っていた。

勿論、プロフィールや顔写真、年齢、性別もないから警告が入ったのだろうが、私には誰かすぐわかった。絵も大胆だったが、オープンの場に派手なコメントだ。こうなったコトの経緯はわからない。

ウェブネームに返事をした。「ガッテンだ!友達リクエスト承認したよ」「ありがとうございまーす!」どこかの空の下で私の絵をみたがっている。

10年くらい前まで教室に居たから、いろんな思い出がある。今は多分、昔の仲間とは繋がりの少ない環境にいるのだろう。

その後、私のスケッチにコメントが入った。柿が実った民家の絵だ。「どこまで描きに行ったんですか。晩秋の景色が素敵です。柿の色を見かけると、うれしくなりますね」私「浜松市街から30分くらいのところだよ。Zも元気そうだね!こっちはもうじき年寄りの部に入るけど、まだまだ頑張るから!ブログも書いているよ。気まぐれアトリエ日記小杉で検索すると些細なことブツブツ呟いてるから」

Z「私も初老に入りましたよー(笑)。ブログ検索してみますね」云いたいことは色々あるけど、この際多くを語ることは避けたい。オレも絵を送り続けるから、Zも頑張れー!

2018年1月 6日 (土)

気まぐれアトリエ日記(875)・・・西郷どん

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新しい一年が始まった。今年はどのくらい描けばいいのか、展覧会で制作する作品を一通り書き出してみた。

まず都田の教室展で水彩1枚。IZUBI展で50号1枚。2月のマインシュロス個展で油彩0号から20号まで40枚。3月の小豆島尾崎放哉との対峙展で油彩15号1枚と6号2枚。4月の秋野不矩美術館現代作家展で油彩50号2枚と0号1枚。

教室展で油彩150号1枚。5月の浜松美術協会展でも油彩150号1枚。9月の銀座グループ展で油彩15号1枚0号2枚。9月の銀座個展で油彩0号から15号まで35枚。行動展で150号1枚。うーん結構な数になるな。

そんなことをつらつら考えながらテレビを見ていたらNHK大河ドラマ「西郷どん」の予告番組をやっていた。昔、大河ドラマで西郷隆盛を演じたことのある西田敏行と今回演じる鈴木亮平が対談していた。

2回の入水自殺未遂や島流しなど波乱万丈な人生をどうとらえたらいいのかの話になった。鈴木「初めから大人物っぽく演じても本当らしくないですね」西田「スッピンの亮平君が生身で隆盛を演じていけば、やがてたどり着いたところに君の西郷どんが降りてくるじゃないかなあ」

鈴木「まだ行く先の西郷どんがつかめないんですよね」西田「その方がいいよ。人間はいろんな出来事によって成長していくんだから、先まで分析、説明できるようではつまらんです」

どんな西郷隆盛像が浮かび上がるのか楽しみである。西郷どんを引用するのはまことに僭越だが、絵を描くことも同じようなところがあるなと思った。これだけの枚数が待ち受けていて、初めから勝算などあるわけない。むしろ心細い限りだ。白紙に近い状態ではどこに行き着くかまるでわからない。しかし、わからないことが制作意欲にもなる。

さて今年はどんな作品に出会えるだろうか。汗かきべそかき欠点だらけでスッピンの自分を楽しんでみるとするか。

2018年1月 4日 (木)

気まぐれアトリエ日記(874)・・・やすみやすみ

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正月らしいことなどせずに過ぎてしまった。暮れから引き続き、溜まった書類や衣類の整理、破棄などをしていたら正月も3日が過ぎた。時間がまとまってとれる今しかできないことだ。なんという正月だろうか。あと2日残っている。「気まぐれアトリエ日記」も随分長いことプリントしてない。プリント、コピーして手づくり製本したものが2冊ある。ついでに3冊目も作っておこう。

調べてみたら590話あたりからやってない。一昨年の正月あたりからざっと280話をプリントしなければならない。一度にやるとプリンターが悲鳴をあげそうなのでやすみやすみすることに。ぼちぼちプリントしながら読み返してみると、この2年間いろいろなことがあった。

3年前の大晦日、除夜の鐘を聴いていると階下でオフクロが何か叫んでいる。圧迫骨折で動けない状態だった。すぐに入院、二か月後退院して介護施設で1カ月リハビリ生活。それから自宅で生活したが病気が見つかり再度介護施設へ。8月に亡くなるまでの日々が書いてある。

振り返ると大変だったが、その間も教室内外で感じたことを色々書いている。こんなこと書いてたんだと、忘れかけていたこともあった。

行動美術の先輩K先生の葬儀に行ったこととK先生の思い出。Iさんの通夜には棺の前に油絵が5枚飾ってあったこと。マイペース、自分の都合で行動したIさんとは喧嘩友達だったなあ。

「88才になったら個展をしたいなあ。その前にコテンといかないようにしなくちゃね」と笑っていたNさんも86才で亡くなった。私が教室を始めて生徒のアテが何もない時、最初に訪ねてきたのがNさんだった。

「私が教室に来なくなったら静かにそのままにしておいてね」と云っていたOさんも亡くなった。闘病生活を続けながら亡くなるひと月前まで通って来た。

今年の夏はオフクロの初盆だった。遠州地方のお盆は派手でシキタリについてはまるで知らないことだらけ、なかなか大変だったなあ。

磐田のS先生も亡くなったと聞いて通夜に行った。神明宮を散歩しながら感じた折々の四季をFBで発信し続け、その高潔なお人柄に私もあのように人生を全うしたいものだと思った。

暑い盛りに汗を拭き拭き、画集制作のため物置から作品を出して写真をとった。出来上がった本は想定より薄かったが、色々な感想が聞け、作ってよかったと思った。

楽しい話もいっぱい書いてあった。白馬スケッチで霧の栂池高原を歩いたこと。尾道の路地から海をスケッチしたこと。奈良若草山の山焼きの火は今でも目に焼き付いている。京都スケッチ旅行で静かな嵯峨野を歩いたこと・・などなど。

過ぎてしまえばさほどのこともないが、こうして振り返ると2年は長い日々だ。去っていった人達の面影がページから甦ってくる。それにしても何事も溜め込むとあとの処理が大変になることを痛感した正月だった。

2017年12月31日 (日)

気まぐれアトリエ日記(873)・・・カニ

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このところ片付けばかりして年が暮れようとしている。掃除をしていたら頼んでおいた宅急便が届いた。開けるとタラバガニの身が丸々として美味しそうである。カニを見て思い出したことがある。

昨年卒業したIさんが何年か前「釧路の水産物問屋から電話があったの。大きなタラバガニ3杯を1万円で届けるから食べてみてよ、もし気に入らなかったら奥さんの家の玄関先で土下座して謝るから。騙されたと思ってお願いしますよって云うから取り寄せたの」

「ところが身がほとんど入ってない小さなカニだった。先生にひとつあげるから食べてみて」たしかに干からびたような身が少々ついていただけだった。騙されたなー。北海道から謝りにくるはずないもの。詐欺の口車に乗せられた。

私も金沢近江町市場でタラバガニを求め宅配便で送るよう頼んだら、なんと花咲ガニに化けていたことがあった。

これも卒業したXさんから教室で聞いた話である。幼稚園の頃、父親の自転車のうしろに乗って出かけたことがあった。すぐに戻ると思いきや砂利道を10数キロ走って海辺の温泉町に出た。一軒の家に着くと着物の女の人が出てきた。

その女の人はXさんに茹でたてのカニを丸ごとお皿で出してくれた。子供が食べるには相当の時間がかかる。食べ終わった頃、父に続いて髪をなでながら女の人も階段を降りてきた。子供を使った見事な作戦である。

「私は子供心に、なんだかお母さんには話さない方がいいと思った。しっかりつかまってろと云って、来た道を猛烈にペダルをこいで帰った。戦争から帰還した父は山登りが趣味でたいした装備もない時代、難攻不落の剣岳に登頂したりもしたけど、若くして亡くなってしまったの」

必死に自転車をこぐ姿を想像すると滑稽さと同時に哀愁を感じる。可笑しみとは真剣な顔に宿るものだ。一生懸命こぎながら、いろんなことを考えたであろう。生きるってことは切ないもんだなと、その話を聞きながら思った。Xさんにとっては、もう半世紀以上も前の思い出である。

大晦日はアツアツのカニでキンキンに冷えたビールを飲みながら紅白のキレッキレバブリーダンス見るとすっか。

2017年12月26日 (火)

気まぐれアトリエ日記(872)・・・違和感こそ

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先月から歯医者に通っているのだが、先日予約の1時間前に着いてしまった。歯科のすぐそばに川があり雲が茜色に染まってきている。診察時間まで黄昏てゆく川景色をスケッチすることにした。

先程まで家々が一軒一軒克明に見えていたのがシルエットに変わり出し一塊の家並みになり、やがて家々に灯りが点る。そのシンプルさは「人の営み」としてのカタチに還元される。私の好きな与謝蕪村の夜色楼台図も、そんな人懐かしい気持ちを詠っているのだろう。

刻々と移り変わる光との対話が楽しいひとときだった。そのスケッチをFBにアップ。すぐMさんからコメントがあった。「うりぼうが鉄塔に登ると感電するね」うりぼうは猪の子供。先日アップした私の山の絵をみて「きっと、うりぼうもいるね」とコメントがあった。今日の絵には鉄塔がある。うーん彼は詩人だな。類型のない意表をついたコメントである。

2年ほど前から私のFBの絵に「いいね」の反応してくれるKUSAKA KANATAさんから初めてコメントがあった。「毎回毎回楽しませてもらっています。ありがとう」私は「そう云ってもらえると、とてもうれしいです」

ところでKANATAさんってどんな人だろう。まったく面識のない人だ。彼のページを開くと経歴など書いてはないが、そのFB友達にアッと驚いた。世界中のアーチスト達が思い切り自由に刺激的に表現している。彼等はイメージハンターとしてのエネルギーに溢れている。FBを検索すると思いがけない世界がひろがるもんだと改めて感じた。

その中にKEISHI TOMINAGAさんの作品もあった。15年ほど前、あるグループ展で彼の絵を一枚買った。犬の絵だが、独自の視点が実に面白い。可愛さと不気味さが混ざっている。

思わず買ったその時絵は予定調和ばかりじゃない、この違和感こそ彼の美への挑戦であり、まだ見ぬ美の源泉だと感じたものだ。

来年は戌年。正月は久しぶりにこの絵を玄関に飾ってみよう。

2017年12月25日 (月)

気まぐれアトリエ日記(871)・・・遠鉄のバス停?

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年の瀬も押し迫った。忙しさにかまけて片付けられずにそのまま置いておいたモノを整理して捨てようと頑張っているのだが。屋根裏部屋、物置、座敷などにモノが詰まってスッキリ感がない。何もない空間に憧れるのだが捨てられないモノも多くなった。

そんな話を教室でしたらTさんが「団塊の世代は、もう断捨離に入っている。いかに捨てて整理していくかに意識が向かっている」と云う。

戦後の成長期に育った世代はモノのある暮らしに憧れ、それを実現してきた。欲しかったモノを手に入れたら、豊かさとは果たしてこれだったのかと疑問を感じ出した。本当に必要なものがわかっているのかと問い直してみる。大事なものを大事にするために大事でないものを減らす。モノが少ないことは豊かなことなのだ。ガランとした部屋はゆたかである。

アインシュタインは「テーブルと椅子、フルーツとバイオリン、この他に人の幸せに必要なものがあるだろうか」と云っている。モノはいくら捨てても自分自身はなにも減らない。

忙しい時に限って油絵を描きたくなるクセがある。秋ごろからシンプルな構図を求めて案山子をモチーフに描いてきた。先日、FBに案山子の自画像をアップしたところ生徒のAさんからコメントが入った。「サンタさん、真っ赤なお鼻のトナカイさん、クリスマスイブらしい自画像」

Mさんからもコメント「遠鉄バスのバス停みたいな自画像」なるほどね、みる人によってさまざまな感想である。Mさんのユニークな発想からイメージが湧いた。

ポツンと佇んでいるものは自画像になるな。まわりに何もない所在なげなもの、気にもとめないもの、必要上面白いカタチになったもの、バス停、ポスト、カーブミラー、鉄塔・・・ユーモラスで軽ろ味のあるものをモチーフに自画像を描いてみるとすっか。

部屋も絵も余分なものがない状態に憧れるのだが、どちらも永遠の課題である。

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