2019年9月15日 (日)

気まぐれアトリエ日記(1125)・・・あと4年

Img_3647  Hさんは、30数年前まで印刷会社のデザイン部で机を並べていた先輩である。あの頃のHさんはいろいろと元気がよくてキャッチコピーの名手だった。彼が創った絵画サークルのキャッチコピーに「人間をかじると血が出ませんか」というのがあった。

その頃、練り歯磨きのコマーシャルで、リンゴをかじる映像が流れていたが、これは「リンゴをかじると血が出ませんか」のパロディだ。もうわからない人も多いはずなので解説をした。奥浜名湖では湖を見下ろす山の斜面にミカンが燦燦と陽を浴びて育っている。そのキャッチコピー「太陽がおっぱい」アランドロンの映画のパロディで、思い起こすと数々の名(迷)コピーが浮かぶ。

昔から弱い者の味方をする正義の人だった。最近の裸婦デッサン会の案内葉書のコピーには「人間を見たことがありますか?有名な絵描きになりたい方は勝手にどうぞ。本物の芸術家になりたい方は裸婦デッサンで造形力を育てよう」相変わらずのブラックユーモアぶりである。

Hさんの絵画サークルの展覧会がクリエート浜松で開かれているので鴨江教室の後で出掛けてみた。Hさんは「この頃、忙しそうだねえ」と笑って云った。「今月は東京へ行ったり来たりしながら教室やってる。行動展の用事が多くてさあ。重鎮からは今が花だよって持ち上げられ汗かいてるよ」

サークルの出品者には昔の仲間の名前がいくつかあって懐かしかった。20代に活動していた人達が40年ぶりに参加している。Hさんが設立してもう50数年。あと4年で60周年を迎えるそうで、大展覧会を予定しているという。受付には「4年後まで生きていてください」の貼り紙が。「Hさんはあと4年経つといくつになるの?」「78だよ」「じゃあまずは人のことより発起人が元気でいなくちゃね」

会うといつも「老衰をこじらせちゃった」と笑うユーモアの人だ。この人懐っこい人間臭さに半世紀以上も人が集ってきたのだと思う。私も「光陰矢の如し」「少年老い易く学成り難し」が身に沁みてわかるトシになってきた。

でも「今が花だよ」とおだてられれば汗をかく。まだまだ元気で頑張らなくてはと思うこの頃である。

2019年9月12日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1124)・・・バスキア展

Img_3648 郵便受けを見たら、写真家のTさんから展覧会案内パンフレットが届いていた。Tさんは時々私が興味を持つだろうと思う展覧会を知らせてくれる。昨年の9月に開いた私の銀座個展にもわざわざ浜松から来てくれた。

Tさんの写真展を観ると、街角のショーウインドウのマネキンの一部と、ウインドウに映る人の群れが重なる映像などの不思議な世界を撮っている。「不在のなかの存在」を追い求める写真家だ。

さすがに写真家はフットワークが軽い。昨年「まどみちお展がみたくて山口県まで行ってきた」と云っていたが、ラッキーなことに菊川の常葉美術館で開催されたので生徒たちと東海道本線で観にいった。これは心に残る展覧会であった。

送ってくれたパンフレットは六本木ヒルズ森美術館で開催中の塩田千春「魂がふるえる」インスタレーション作品展。天井から無数の赤い糸が降りて幾艘もの船に繋がっているのだが、その空間で観てみたい。

封筒にはもう一枚パンフレットが入っていた。同じ森タワーで開催されるバスキア展だ。9月17日には行動展陳列作業、18日にオープニングギャラリートークなどで上京するのだがバスキア展の会期は9月21日からとなっているので残念ながらついでに観るというわけにはいかない。11月17日まで開催されているから改めて出掛けることにする。

バスキアは1980年代に彗星のごとく現れた黒人の画家で、わずか10年の活動期間でドローイング2000点と絵画1000点を残し、若くして亡くなった。短い人生を全力ダッシュで駆け抜けるがごとき強烈なエネルギーに溢れている。画集でしかみたことはないが、一見落書きかと思うようなカタチとタッチで、虚飾のない剥き出しさからは生な息遣いが哀しく切なく胸に響いてくる。

最近、上手下手にはあまり興味がなくなった。「生な自分をどう吐き出すか」バスキアの作品の前で彼のつぶやきに耳を傾けてみたい。

2019年9月10日 (火)

気まぐれアトリエ日記(1123)・・・行動展審査行きⅡ

Img_3504 2日目の審査は一般出品の入落を決め、保留作品の最終判断、2点展示作品の承諾など午前中で終了。午後からは展示担当なので、展示効果を考えながら各階の作品仕分けをした。

浜松事務所関係は全員入選となったが、賞候補の票はあまり伸びなかった。何をしようかという熱、それを造形する力、何と言われようと我が道を行く強さのある作品に審査員は共感する。仕分け作業での会員作品は見応えがあった。

ベテラン作家が今まで築いてきた作風をかなぐり捨て、まだ見ぬ自分の表現を模索している。「これ誰の作品?」という声が何度もかかった。現状に安住せず挑戦する姿勢が行動美術を牽引し進行形にしている。絵描きの神髄が垣間見え、オレも頑張ろうと奮い立つ思いがした。

ホテルへの帰り道、各地方の連中が飲み会があると云って散っていった。私はひとりでホテルに戻ったが、まだ4時台だ。少し散歩をしようと赤坂TBS前から日枝神社をまわって、ホテルの近くの氷川神社へ向かっていると背後から名前を呼ぶ声がする。

同じホテルに泊まっている名古屋事務所のNさんだった。「名古屋の女子会をホテルでやるからコンビニに買い出しに来たのよ。よかったら浜松事務所と合同飲み会しない?」「だったら、みんなに声を掛けるからオレの部屋でやろう。シングル頼んだのにツインになってるんだよ」

岐阜のYさん、名古屋のNさん、浜松出身名古屋在住のNさんらがやってきた。昔からの仲間は話題に事欠かない。ベテランが殻を脱ごうとそれぞれ孤独に孤軍奮闘している様子に感動した話が熱く続いたあと「以前の浜松出品者には小杉色がついていて、すぐわかったけど、この頃それがなくなったねえ」歯に衣着せぬ面々の本音が聞けた。

私のブログでのエピソードも話に出たが、Yさんは「少しの話をかなり盛っていない?あんなに面白いことが次々起きるわけないってみんな云ってるよ」と訊いたが「事実以外を創作したら日記にならないよ。小説のような芸術やろうと思ってるんじゃないんだから」とこたえた。

そろそろお開きにしようかと切り出した時には、もう3時間が経っていた。風呂に入って寝たが、夜半に台風15号の激しい風雨の音で目がさめてしまった。

気まぐれアトリエ日記(1122)・・・行動展審査行きⅠ

Img_3642 9月7日からの3日間、行動美術展審査で東京行き。朝、Fさんと新幹線で六本木国立新美術館へ向かう。Fさんもいつの間にか高齢になってきた。座席に腰をおろすと「東京行きもだんだん大変になってきたけど、やっぱりこれは生き甲斐だから」と云った。

会場に着くと審査進行係の打ち合わせが始まっていた。午前は会友の審査から開始。私は午後の一般出品審査を担当。多数決による入落の判定、2点展示作家の推挙、賞候補推薦の挙手と票数、次年度推薦作家の承認などを80数名の審査員に図りながら進行していった。

昼休みにYさんから来年3月に開催予定の「尾崎放哉との対峙展」のスケジュール書類を受け取り、打ち合わせをする。名古屋のNさんが「以前、水彩連盟に所属していたベテランですけど、先生の画集をみて影響を受けたって人が初出品してますよ」「若い人?」「そんなこと関係ないでしょ!」「あっそう」

確かに影響を受けた感じはしたが独自の解釈の半抽象人物は魅力的で、最終日の受賞会議では奨励賞になった。

九州のMさんから「耳鳴りはどうですか?」と訊かれた。ブログを読んで知っているのだ。「時々しますが、体に悪影響はないということですので気にしないようにしています」Mさんも最近耳鳴りがするとのことで沢山の薬を持っていた。

「嫌がると増幅して追ってきますよ。実際には耳が鳴っているわけではなく脳が反応しているだけですから、気にしつつも受け入れるようにしていけばひどい悪戯はしなくなります。薬はやめた方がいいと思います。鳴っていても死ぬことはないんですから。気にしなくなったことをもって治癒とすることですよ。人生、意味のないつまらないことに関わり付き合っているのは時間がもったいないですから」とアドバイスした。

初日の審査終了後、集合写真撮影、総会と続いた。長い議論の末、解散したのはもう7時近かった。MさんFさんと3人で赤坂のホテルに向かい、ホテルの近くのレストランに入りビールで乾杯。疲れた体をゆっくり風呂で癒やして熟睡した。

 

 

2019年9月 5日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1121)・・・川景色

Img_3194-2_20190905091801 いつもの年なら夏でも木陰でスケッチ出来る日もあったのだが、その気も起きないほど今年の夏は暑かった。肩凝り性なので血行をよくするために散歩をするのだが、それも出来なかった。

ウッドデッキに置いたルームランナーもこの暑さでは使う気になれない。これで歩けばいいと思って購入したのだが、機械に歩かされている気分になり飽きてしまった。週に一度くらいはイオンモールを歩いていたのだが、それだけでは大した運動にならない。

運動不足だと、なんとなく頭が重くて体がすっきりしない。哲学者の内田樹氏曰く「生きているって体に悪い」よくわかるなーと思わず笑ってしまった。

9月に入ってからは朝夕涼しくなってきたので、家のそばを流れる川の堤防を歩いてみることにした。川辺の草叢を揺らしながら涼しい風が渡ってくる。西には三方ヶ原台地が横たわり、山の端には縁を金色に染めた雲がゆっくり流れている。こんな風に吹かれるのは何カ月ぶりだろう。

三つ目の下流の橋まで行ったところで日が沈んだ。川景色の向こうにひろがる水門と家並みとシルエットになった山並み。すべてが黄昏色に包まれた中で風に吹かれていると絵心がくすぐられる。今度この時刻にスケッチ道具を持って描いてみたい。

この景色の中にいると思わず「生きているっていいなあ」と思う。ついでに肩を回しながら、50分散歩して家に戻ると気分が軽く頭がすっきりしている。暑い間はエアコンやビタミン剤に頼っていたのだが、これからは夕方散歩して体を管理することにしよう。自然の中だと甦ってくる自分を感じる。

今週の土曜日からは行動展の審査で上京、もう秋の部が始まる。しっかり体調を整えて頑張りたい。

 

 

2019年9月 2日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1120)・・・山のカタチ

Img_3639 日曜日にAさん主催の裸婦デッサン会があった。会場のクリエート浜松では3階ギャラリーで創元展を開催していたので、昼休みに観にいくと生徒のMさんが受付にいた。

Mさんは洞窟住居の絵を出品していた。光と影の大きな対比でシンプルな造形だ。翳りの部分には工夫したマチエールとグレージングによる深い色調が効いて、描写から大きく語りかける造形へと展開していた。生徒のOさんが描いた氷河の作品もシンプルでグレージングが美しかった。

先日、ギャラリーFでTさんが個展をしていた。山の絵が中心で、ザックリした色面はいつも大胆で気持がいい。抽象に近い表現だが、今回は完全抽象による色面の作品が何点かあった。ローラーや引っ掻きによる線などは自由で面白かった。

Tさんは「もう山の絵は卒業したい」と云った。私は「抽象作品を手掛けたあとで、また山に戻れば違うものが出来るかも知れない」と話した。Tさんはアクリル絵の具で描いていて、グレージングをしていないから鮮やかで大きな色面が少し単調に見える。抽象画で試したように、思いっきりとっちらかした先に整理整頓すればシンプルな中に面白い変化が楽しめるはずだ。

池田満寿夫の陶板画「富嶽百八景」は、ただの三角形を造形したものだ。富士を描写したというよりも、どう感じたかを釉薬と火にまかせて制作してみせた。富士山直下から眺めた青富士、赤富士、茶富士、黒富士、白富士などである。

富士の千変万化を単純なカタチと色面に語らせている。先月は富士の姿に圧倒されたが、池田満寿夫が展開させてみせた富士のバリエーションも味わい深い。池田満寿夫が感じたものを再現してあるから彼の心を追体験できる。

陶板そのものは「他力」ではあるが、彼はそれを操ってみせた。アートの醍醐味だ。手わざによる描写を越えた人智の及ばない世界が独り歩きしている。水彩、油彩、アクリル画でも陶芸と同じようなことが工夫次第で出来るはずだ。

Tさんも抽象による表現を経て、自分が工夫して描き掴んだ絵から教わったものをまたシンプルな山の絵に投影してほしいと思った。

 

2019年8月29日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1119)・・・犬馬は難し

Img_3634 月末の一週間は教室がお休みなので、連日アトリエに入り浸って油彩小品を描いていた。カミさんは「暇さえあれば絵を描いていて、まるで絵かきみたい」と云った。

たいそうなテーマなどはないので、お道化た自画像をシリーズで制作しているのだが人物は歪めると、どうも奇怪なものになり易い。そこを回避するためにユーモラスな形態でやんわりと包んでみる。若い頃、行動美術名古屋の辻先生には「奇怪なものを平凡に描くな、平凡なものを非凡に描くのが絵だ」と云われたが、これが難しい。

銀座7丁目にあった洲之内徹の現代画廊で松田正平が個展をした時、壁に「魑魅は易く犬馬は難し」という色紙を貼っておいたそうだ。それを白洲正子が見つけ、こっそり持ち帰って自宅の武相荘の柱に掛けた写真を見たことがある。魑魅魍魎は初めから異様な姿をしているが、犬や馬は描く人の解釈が問われる。昔、辻先生から届いた葉書には「これから先は君の人間解釈が問われている」とコワイことが書いてあったのを思い出した。

描きながら、自画像の空間をアトリエにしてみたらどうだろうかと、ふと思った。テーブルには筆立てや使いかけのチューブの絵の具があり、イーゼルや描きかけのキャンバス、パレットなどが雑然としている。自分をとりまく日常を自由に構築できるモチーフたちだ。

1枚描いてFBにアップし、コメントを入れた。私「油彩8号、とっちらかったアトリエの自画像」清水在住のKさんから「ひょっとしてあなたもとっちらかっているのでしょうか」Kさんもご同様とみえる。

私「ついでにアタマの中もとっちらかっています。一貫性がなく飽き性なので出来心で生きています。出来心といっても万引きはまだやったことはありません」デトロイト在住のMさん「それがアーティスト、生な感性で生きておられるのですね」私「照れくさいでござる」

私のモチーフは日常の中にある取るに足らないものたちだ。なんだかんだいっても結局ああでもないこうでもないと云いながら、とっちらかったアタマとアトリエで絵の具をいじっている時間が好きってことか。

2019年8月26日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1118)・・・作務衣

Img_3626 8月第4日曜日は久しぶりにオープン教室人物デッサンがあった。土曜日にモチーフや机をウッドデッキに出した後、夏物の服を探していたら甚平や作務衣が出てきた。10年ほど前に作務衣を着て歩いていたら近所のオバサンに「七五三みたいだねー」と冷やかされて箪笥に仕舞ったままになっていた。

最近はグレイヘアになったし、もう着ても笑われないだろう。オープン教室でアトリエに入ると「似合うじゃん、珍しいねー」と口々に云った。上着の端に「初心一代」と刺繡があった。これはいけない「道楽一代」なら許せるのに、すぐマジックで塗りつぶしておいた。

モデルのKさんはふっくらタイプでニコニコしている感じのいい人だ。カラーコーディネーターだそうで絵の話にも興味をもって耳を傾けていた。ポーズは並べた座布団の上にうつ伏せて片足を曲げた無防備なポーズをお願いした。「誰もいない昼下がりに、ひとり昼寝をしているしどけない姿で」と注文をつけた。

初参加の生徒も何人かいた。水彩画のHさん、Aさん、油彩のOさんなど、なにかを打破したいと入会してきた力量のある人達だ。デッサンをしている最中に私はこんな話をした。

「絵は平面でいいと割り切ってみることも大事だよ。陰影、立体、遠近は取り敢えず考えないようにする。絵は三次元を二次元に置き換える行為だから。描写から造形への工夫がアートになるんだよ。大きな色面と密度のある部分。補色によるスパイスとか。ついでに訴えるテーマも無理に持たなくていい。裸の自分を色とカタチで呟いてみる。どこまで自由になれるか試してみることだね」

Hさんは水彩絵の具を紙に垂らして色面、明暗のかたまりを激しいタッチの筆やシミで構築し、コンテで線描している。Aさんはパネルに水張りした20号に刷毛でグイグイ描き出した。モデルと空間、明暗、色調を大きく駆け引きしている。モデルのポーズから受けたニュアンスを「失敗してもいい」と笑いながら挑戦していた。

「水彩は油彩に比べて工夫の余地が少ないという認識は間違いだよ。ただ不透明にベタベタ塗るだけで工夫のない油彩よりずっと味わいがある。水彩の可能性も無限だから。水彩も油彩も透明絵の具として扱うことだ。水彩とアクリル絵の具の併用だって表現の巾が出る。修正が出来るから失敗を恐れなくてもいいよ。完成させようとするより、これは研究だからと思うこと」と続けた。

午前の部、午後の部とも笑い声が絶えない和やかなデッサン会であった。

 

2019年8月23日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1117)・・・萱の抜き方

Img_3625 酷暑が続いてもうふた月になる。庭の芝生の草取りをしなかったら萱が生え始め、あれよあれよという間にはびこってしまった。萱はたちの悪い草だ。抜こうとしても地下茎なので芝に絡まってしまう。

短いものを掘って抜いてみると地面に生えた草丈の5倍くらいの長さの太い茎が地下に伸びている。7~8年前、手の付けようがないので諦めて庭の半分ほどの芝生を剝がして新しく張り替えた。

生徒に訊いても「もう抜くのは無理だねー」と気の毒そうに云う。暑い最中に少し抜いてみたのだが10分もすると目がまわりそうになるし蚊も出るしで諦めてしまった。秋になったら再度、芝生を張り直すことにしよう。

今朝、久しぶりの雨音で目が醒めた。かなり強い雨だ。そこでひらめいた。雨だったら暑くないし蚊も出ない。地面がゆるくなっているから、ひょっとして抜けるかも知れない。第一、雨に濡れれば気持ちがいい。

二股に分かれた草抜き道具を萱の根本に差し込んで、ゆっくりこじてみたらズルズルと出てくるではないか。しめた、今日は雨に濡れながらじっくりこの憎っくき根を抜くことにしよう。親の仇とばかり、折れないように抜いてみる。

萱が生えた庭はなんとも荒れ果てた家に見える。3時間ばかりでかなりすっきりしてきた。続きはまた雨の日にこの方法でやればいいことがわかった。工夫次第でなんとかなるもんだ。しかしパソコンがトラブった時はお手上げである。

昨夜パソコンを立ち上げたら「あなたのパソコンはハッカーに乗っ取られました。パスワードなどの個人情報はすべて抜き取られ、このまま放っておくと大変なことになります。至急下記までお電話ください。5分以内に対応しないと取り返しがつきません」と文字が出て、同時に女性の親切そうな声がささやいている。抜き取られる金銭的な情報など入っていないが、脅してくると詐欺とわかっていても気持が悪い。強制終了しながら何度も立ち上げたのだが、張り付いてきて離れない。

年間契約でフォローを頼んでいるFさんに電話すると「あー詐欺です。強制終了して一晩放っておいてください」と落ち着いた声で云った。翌朝パソコンを立ち上げたら、もう出てこなかった。

松井クンがFBに日常の中の曲線の解析を長い数式で入れてきたりするのだが、その数式は情けないことに私には理解不能な領域である。萱なら工夫でなんとかなるのだが、パソコンがトラブった時も、私にはもうどうにもならない領域なのだ。

 

 

2019年8月19日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1116)・・・まーいっか

Img_3621 生徒のTさんが半田教室のアトリエに入ってくると、のどかな空気が流れる。いつもほんわかムードだ。水彩を描いているが、おおらかな性格なのであまり突き詰めた表現にはしない。そこで「もっと描けるんじゃないの」と指摘すると「もうこれでいいの!若い頃から大病を繰り返してきて、今生きていて絵が描けるだけでもう充分満足してるんだから」と云って笑う。

数々の病気を克服してきたというのに、ホワっとしていて愚痴など一度も聞いたことがない笑顔の人だ。Tさんにとって楽しく絵が描けて暮らせれば、それが一番大事なのだ。Tさんの絵を眺めるとそんな人柄が滲み出ている。人それぞれ求めるものは違うのだから、絵はこうあるべきなどと型にはめる必要などない。

若い頃の私は、今とは少し違っていた気がする。「こうあるべき」という規範があって、もっと生真面目だった。教室を始めた頃、生徒のSさんは私の指導を見てこう云った。「先生はもっといい加減でいいんだよ。私らを見てみなよ、こんなふうでも生きてこられたっていい見本見せてあげてるじゃないの」

人生とはこうあるべきという、どこか完璧主義だったと思う。今思い返すと、自分を「べき」で縛り付けていて、なんだか窮屈なところがあった。

「嫌われたくない」や「笑われたくない」にも縛られていた気がする。しかし、これらの考え方が役にたったかというと、ほとんど役にはたたなかったし、どこか無理しているような気がしていた。

絵を描くようになって、人は自由に発想し表現し、もっと自由に生きられるんだと描いた絵に教えられた。嫌われたって笑われたっていいよ、正直な自分を生きれば。「べき」などになんで縛られていたんだろう。「べき」なんかなくても、なんの問題もない。「べき」の代わりに「まーいっか」を呟くようにした。

あるがままの自分を曝せばいいと思えた時はうれしかった。「べき」を減らすと他者にもおおらかになれる。私は絵を指導してはいるが、実のところ、生徒から教えられることの方がずっと多かったように思う。

この頃、教室は絵を教えるだけの場ではないんだなあと思える。「絵がうまくなること」よりもっと大切なことは、いろんな人の生き方の巾を知り、みんなでそれを理解しあい、分かち合える場なんだということがわかってきた。

 

«気まぐれアトリエ日記(1115)・・・秋の京都 教室スケッチ旅行