2017年9月22日 (金)

気まぐれアトリエ日記(838)・・・行動展オープン

9月20日から六本木国立新Img_5145美術館で行動展が始まった。10月2日まで開かれている。浜松からは14名が出品。11時に美術館到着。まずはひとまわり会場をみて歩こうとしたが、知り合いが次々声を掛けてくるので、今日は久しぶりに会う人達との会話の日としようときめた。

午後1時からはアドバイスを希望する出品者を囲んでの絵画講評会に参加。時々作品の写真を送ってくる奈良のTさんの顔も見える。

講評会には20代30代の初出品者も多く、ユニークな発想と独自な表現が目立った。会員推挙となった浜松の藤原さんの作品も会場入口に2点展示されていた。教室で基礎を学んだ生徒から会員が出たことは感慨深いものがある。

藤原さんは15年前、水彩で花の絵を習いたいと云って私の教室を訪ねてきた。正確に云うと2軒隣の水彩教室と間違えて訪ねてきた人である。私は知らん顔して黙って水彩を教えながら、油彩もやってみたらどう?と絵の面白さを誘導していった。

 奈良のTさんとは別グループの講評会だったので、終了後にどんな感想が出たか訊いてみた。地元では描き込みが足りないと云われ、今日は描き込みすぎと云われたそう。でも熱気があり進境著しい。あとは云いたいことを少し整理すればとてもいい作品になるよとアドバイス。

Tさんの友人Kさんも出品していて「先生のブログ読んでいて、とても示唆を受けてます」という。照れくさかったが、ブログは面識のない人とも繋がっているんだと改めて感じた。

3時30分からは授賞式とオープニングパーティが別会場で開催された。賞状授与役のT先生は挨拶で、ひとりひとりが自分の表現の壁を超えて新しい美を見つけることが最も大切だと語った。

パーティのしめでは彫刻のK先生が「私のオヤジも自分の信念を曲げない貧乏絵描きだった。自分の想いに忠実で誰にも媚びず、だから一般受けはせず売れないのが行動の作家である。しかし、これからも理想を高く掲げて行動らしくすすんでいこう」と挨拶。会場からは大きな拍手がおきた。

今回は品川に泊まって翌日会場に着くと、昨日同様大勢の知人と出会って話し込んだ。時間をみつけて隣の新制作展を覗くと豊橋のSさんと会い、またまた話し込む。

午後は銀座8丁目のギャラリー風へ。行動、新制作作家による合同展で私も出品しているが、いつもとまたひと味雰囲気が違って新鮮だった。そのあと行動女性作家による4人展をみて、3丁目のゆう画廊へ向かう。畑中優展には大阪のT先生も居てひとしきり談笑、銀ブラしながら帰路についた。

2017年9月18日 (月)

気まぐれアトリエ日記(837)・・・才能

教室の壁に行動展Img_0866審査結果を掲示した。入選者のOさんに、来年は受賞目指して頑張ってねと云うと「私、才能ないからムリー」と返事が返ってきた。描く前から結果を気にしている。才能ってナンだ?

私は「オレ才能などアテにしたことなんか一度もないよ。描きたい気持に引っ張られて描いてきただけだから」と応えた。「評価されたい気持はあって当然。しかしそれを気にするより、まず描きたい気持が前に出ることが大切だよ」

「冒険野郎は行かずにおれない好奇心に魅かれて出かけるんだ。不安に打ち勝つ方法は行かずにいられない衝動なんだよ。もし才能と呼ぶべきものがあるとしたら湧き上がる衝動のことだよ」

「どうなるかわからない先のことなど心配したって仕方ない。今度こそうまくいく、というなんの根拠もない楽天性が大事なんだ。エジソンは失敗を繰り返すたび、オレってこの方法ではダメだってことがもう100通りもわかったと云ったそうだ」

「結果を考えていては足を踏み出すことが出来ない。絵だって冒険だってその事態に直面しなければ対処できない。まず描きだせば、その絵が手引きしてくれることだってある。何事も一寸先はやってみなくてはわからない出たとこ勝負なんだ」

「描いてみないとわからない、だから描くんだ。その悪戦苦闘ぶりに美は宿る。オレだって迷いに迷って描いている。はじめから想定内の絵など目指さないこと。迷って、うまくいかないことを楽しまずになにを楽しむんだよ。絵はまだ知らない自分を楽しむために描くんだ」

「どんな想いが自分を衝き動かすのか、まずは描かせる火種を大切にし育てることだ。技術は教えられるけど、このことは誰も教えることが出来ない。描かせる衝動や想いは説明出来ないものだから必ずしも相手に伝わらなくていい。わからせようとすることは一本調子で底が浅い表現なんだ」

「絵に愛と熱が宿っていれば相手は何かを感じるはず。絵は頭や理屈ではないんだよ。わからないことが作者へのへりくだりであり、やさしさや思いやりなんだよ。もう賞を取れなんてアテにならないことは云わない。絵のある人生をどう充実させるのか、それは各自の責任で出来ることだ。オレは出来ることを云っている。これはみんなに共通の話だからね」

教室の2時間、絵を描くにあたって心の持ち方を話し始めたら止まらなくなって、絵のアドバイスもなしでそのまま終了となってしまった。「来週これを聴いた感想レポート書いてきな」と冗談云ったら「レポートのかわりに辞表書こうかな」と笑った。じゃあこれを自宅でもう一度おさらいして読み返してみなよ。

※アトリエYOU小杉ブログで検索してください、絵画考察をつぶやいてます。

2017年9月13日 (水)

気まぐれアトリエ日記(836)・・・ただのオッサン

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今年の行動展では9月24日にギャラリートークがある。昨年の会期中、東京事務所の世話役YさんとIさんに頼まれていた。自作の前で話をするイベントだ。

今年の審査が終わった時「みんな、どんな話をするの?」と訊いたら「絵の前に立った時、この絵を描いたのってただのオッサンなんだっていうギャップがほしい」と云うのだ。「オレには無理だー」っと冗談で混ぜ返した。

「上から目線でモノを云ったり難しい理屈はナシにして、立派な話よりもうまくいかなかった話をして。3~40人の絵を描かない人を前にしてのトークなので・・・」

でも多少はナルホドナーという話もしなくてはねー。そういえば過去に会った尊敬する画家達はフツーの人だったし、エラソーな態度されたことはなかった。こういってはナンダけどベレー帽かぶった画家に尊敬できる人はいなかった。ついでに云っておくけど行動の会員達はただのオッサンだけどベレー帽は被っていない。

テレビのバラエティ番組に「しくじりナントカ」というのがあるけど、いかに失敗した人生だったかを語ることで、ダメなのはオレだけじゃないんだとか、それでも人生ナントカなるんだーという気分にさせる。

最近のテレビトークは「オレって昔こんなバカなことしてたんだぜ」でウケている。ダウンタウンのハマちゃんなんか、よっぽど強烈なバカ体験じゃないと笑いもしない。もはや坊さんのお説教みたいなものでは海千山千の人達の心には届かない。

名古屋のT先生の言葉は若い頃から迷ってばかりの私を支えてくれた。「オマエの絵はデキがわるい。だったら出来の悪い子供を持った親の気持になって無償の愛で絵と歩め」であった。そんな話をしようかな。

田辺聖子はこう語っている。下品な人が下品な服装、行動をとるのは下品ではない。下品な人が上品ぶるのは下品である。上品な人が、その上品さを自分で意識しているのは下品である。反対に下品な人が下品さに気づいているのは上品である。

卑下もしない、威張りもしないというわけだ。なるほどねー。

2017年9月11日 (月)

気まぐれアトリエ日記(835)・・・行動展審査

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9日から行動展の審査が始まる。F先生と一緒に朝はやい新幹線で新国立美術館に向かった。審査進行係なので、10時からの審査に備えて打合せをする。

初日は会友作品の審査。まずは全作品を順次流して全容を把握してもらい、続いて入選作を決めていく。陳列係のH先生から2点展示作家を10名ほど選出して更に会場を充実させたいとの提案があり賛同を得、浜松からは会友4名の展示作品を選出。1名は2点展示候補となった。

その後の総会ではI先生から、これからの課題として若い層の出品を増やす方策を考え、新人の発掘で会を発展させたい・・・などの提案。会を支える層を増やすことと質を大事にすること。なかなか難しい課題だが真剣に考えていかないと。

2日目は7時にホテルで朝食。赤坂のホテルからは六本木の会場まで徒歩10数分で行ける。10時の審査まで朝食後散歩。近くにある勝海舟住居跡から日枝神社、赤坂TBSをまわって1時間半。赤坂は名前の通り、坂の多い町だ。

一般出品では浜松は7名全員入選となり胸を撫でおろした。審査終了後、浜松事務所のMさんが陳列分類の作業に入ったのでF先生と銀座の個展をみに行った。戻ってから東京会員達と美術館カフェでビールを飲みながらMさんの作業が終わるのを待った。

3日目は会友、一般の順で賞候補の作品を並べ投票。お昼を挟んで1時から授賞会議。会議場に入ると浜松の会友Fさんが得票最上位につけている。

行動は作品本位だとあらためて感じたのは、九州のK先生の手が突如上がり「この作家は独自な美を持っている」と地域を超えた思いがけない推薦の言葉があった時だ。私からも実力、地方事務所の実情を加味し新戦力に加えてほしいとお願いし、その結果会友賞、会員推挙、2点展示となった。

Fさんは以前「私の絵には訴える思想や意味などない・・」と自信なさげに云ったことがあったが、私は「Fさんの抽象画はそんな頭でつくった説明など入れなくていい。感覚的、触覚的に人の心を揺さぶる説明を超えたものを目指してほしい」と後押ししてきたが、そんな制作姿勢が審査員の心を動かしたのだと思う。

ハードな作業の日々であったが、年に一度会って共に汗を流す各地の友人との再会もあり楽しい3日間だった。

2017年9月 5日 (火)

気まぐれアトリエ日記(834)・・・多忙な9月

行動美術展の審査がImg_0356六本木国立新美術館にて9月9日10日11日に行われる。まだまだ先のような気がしていたのだが、あっという間に迫ってきた。浜松事務所のMさんとHさん、私の3人で審査に向かう。

教室からは会友のNさん、Iさん、Fさん、Kさん。一般出品のNさん、Oさん、Kさん。教室外からKさん、Mさん、Oさんが出品。今日画材屋のトラックが作品を集荷に来た。昨年より2名減。

東京本部事務所をしていたIさんからは、出品者減少について何かしらの対策をしなければ、このまま放っておけない、危機感をもってあたらなければいけないと浜松事務所に連絡があったそうだ。

行動出品作品は号数が大きく、そこが魅力のひとつでもあるのだが、出品してみようと思う人にとっては大きさに躊躇するのではないだろうか。抽象傾向が強いのも要因のひとつかも知れない。

絵の入口は具象を描くことから始まり、省略、強調、変形を繰り返し目には見えないイメージを構築していくことになり、いつしか抽象作品と呼ばれるものになっていく。

そう思うと、いきなり抽象を描くことは底力が不足の段階で抽象の概念、スタイルから入ることになり、どうしても説得力に欠ける気がする。具象で工夫している作品には、じっくり見守り育てる土壌も必要ではないだろうか。

それにして昔は狭き門だった。私のまわりにいる大多数の先輩、同僚出品者は落選を味わっている。バリバリ全国区で活躍している抽象画家のSさんは若い頃、9年連続落選したと話していた。超難関だからこそ魅力があったのだ。審査会場最前列には向井潤吉、田中忠雄、斉藤真成、阿部平臣、田中稔之、深見隆、辻司など各先生が陣どり、憧れの山脈を仰ぎ見る思いであった。

私は今年も審査進行で入落を問う係だ。作品を覗いてみる程度で、じっくりみる暇はない。2日間、審査にあたる先生方の顔ばかり見ることになる。

オープニングは20日。20日午後は出品者の中から希望者を募る作品講評会にあたる。そのあと授賞式とパーティ。18日からは銀座8丁目ギャラリー風で行動・新制作作家によるグループ展「風展」があり出品しているので顔を出す。24日午後は行動展の自作の前で語るギャラリーツアーが待っている。

教室をやりくりしながらの多忙な9月が始まった。


2017年9月 2日 (土)

気まぐれアトリエ日記(833)・・・コンクール

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昨年、生徒のKさんが「IZUBI(伊豆美術祭)の公開審査を見学しに伊東市観光会館へ行ってこようと思ってます」と云ったことがあった。隔年開催となっているのでそろそろ出品申込書が送られてきているかなとKさんに訊いてみた。

すぐに翌週出品要綱を持ってきてくれた。ネットから申込書をプリント、記入して郵送すると受付票が送付されてくる。ついでにネットを覗くと前回入賞者作品が掲出されていた。

うーん、レベルの高い作品群だ。大賞200万円、前回展は全国から372点の応募があり1次審査から4次審査を経て、入選56点入賞8点が決まっている。賞金目当ての猛者が腕に撚りをかけて押し寄せてきている。

これは甘くない。よほどフンドシをしめてかからないと落選の憂き目にあうぞ。考えてみれば、もう長いこと審査を受ける展覧会には出していない。

以前は富嶽ビエンナーレ展に20数年に亘り出品していたが、いつの間にかこの展覧会は終了してしまった。12年前に、かけがわ大賞展に出品して以来コンクールには無縁になっている。

忙しさにかまけて挑戦することを忘れていた。この難関の緊張感は久しぶりだ。審査をする側にいると、いつの間にか刺激が薄れる。自分なりに頑張っているつもりでも結局無風地帯に居るのだ。

行動展に出品し始めた頃は、ガムシャラに頑張ったし入落にハラハラもした。ぬるま湯はイカン。他者の評価を受け続けることが現役でいるということだ。

肩書きなし、裸の自分を審査に晒す。賞金も絡んだ話だからきれいごとはいわない。人間だから評価が欲しいのは当たり前であるが、評価に重心を置のではなく、それを求めての全力投球が絵を描くよろこび、張り合いを与えてくれる。

昔「金紙銀紙が欲しいの」と批判されたことがあるが、そのための努力をするということが第一義であって、そうしなければ錆びついたままの自己満足に終わる。若い頃公募展に参加して、世の中すごいヤツはゴマンといることを痛感し、もっと頑張ろうという気持を強くしたものだ。

TVコマーシャルで浜辺を黙々と走っている若者のアップとズームアウトの上にテロップが。「東京オリンピックはもう始まっている」頑張っても大多数は出られない。しかし彼等がオリンピックを支えていることは確かだ。この地道な努力が美の本質である。

昨日あたりから涼しい風が吹き出し、制作の秋がやってきた。

2017年8月30日 (水)

気まぐれアトリエ日記(832)・・・恐竜が大好き

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姪が小学校3年生の息子S君を私の絵画教室に通わせたいと云ってきた。教室を始めた頃には小学生を3人預かったことがあったがそれ以来である。

S君は絵を描きだすと夢中になる。恐竜の絵が得意だ。最近、宇宙に興味があって、天体の運行などもモチーフになっている。新聞の折り込み広告の裏に描いたものを切り抜き、ためていて段ボール箱一杯になった。

私の教室で預かって、さて何が出来るのかなあ。まだデッサンや技法を教えるより、材料の工夫で表現する面白さをひろげてやることかと思う。

ジャングルのジオラマなら熱中して制作しそうだ。そこに段ボールを切り抜いて作った立体の恐竜をいっぱい配置してみるか。

八王子で子供の絵画教室をしているYさんが、作品や作品の制作風景をアップしているが、それをみるとすごく参考になる。私も作ってみたいなあと思うことすらある。

俵屋宗達の風神雷神図など、名画の模写には原画にはない子供ならではの大胆な可愛らしさがある。瓶に紙粘土を貼り付けた造形物。クレヨンで描いたあと水彩により、はじいた絵肌。

最近ではLEDライトのパッケージを使った立体造形、ペットボトルのキャップの車輪を付け、光って走る不思議な物体。教室の直前に思いついたらしい、アイデアの自転車操業。

ドロッピングやマーブリングのシミからイメージした形態。住みたい家のプランニングの奇想天外さ、などなど・・・工夫すれば面白い素材はいっぱい転がっている。これらは子供の専売特許と決めつけることはない。大人だってやってみれば発見がありそうだ。

S君はサッカー教室に通っていたが、いつもボールのあとを追いかけているだけだと姪は笑った。一番好きで得意なことを伸ばしてやればいいんじゃないかなあ。

2017年8月27日 (日)

気まぐれアトリエ日記(831)・・・仕切り直し

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個展を来年2月に予定しているので月末の休日を利用して溜まった作品を出した。30号20号10号8号6号サムホールなど油彩約80枚。この中から40枚程を選んで額装してみることにする。

この1年半、忙しい中よく描いてきたなと思う一方、なんだか気に入らない。思うほど変わっていないじゃないか。今までも個展の前にはそんな気持になってきた。

今回もスランプに陥ったか。これまでの作品はキリにして、仕切り直ししたくなっている。もう今までの制作姿勢を大切にすることはない。そのための区切りの個展だ。

スランプの時は思い切って今までの自分にサヨナラできるチャンスである。過去にもこう云い聞かせてやってきてはいるのだが、正直思うほどには変わってきていない。

制作の動機は多かれ少なかれ常識や規格に対する挑戦にあった。いい絵を描きたいなどと思って描いてきたわけではない。そんなことでは守りに入って脱皮できない。まだみたことのない自分の表現を目標にして描いてきた。

絵も人生と同じように一回勝負、同じことを繰り返している暇はない。思いがけないカタチや色との出会い、偶然の要素による衝突、想定外の出来事があるから歩いてこれた。

過去と未来、夢と現実・・・なぜ絵を追いかけてきたのかをもう一度問い直してみるとするか。何度も繰り返してきた問いだが、スランプのあとにはきっとまた描きたくなる時がくる。

私は楽天的だから「今度こそうまくいく」と何の根拠もない確信が心の隅にある。絵バカなのだろう。取り立てて才能があるなどと自惚れたことは一度もないし、そんなものアテにしていない。

この手に負えない抵抗感が、私の絵バカを支え背中を押し続けてくれるのだ。

2017年8月24日 (木)

気まぐれアトリエ日記(830)・・・俳句

連日の暑さには閉Img_5244口する。月末休日に油彩小品を何枚か描いていたが、どうも気合が入らない。夏バテ気味なので無理せず夏休みとするか。

横になって気楽に読めるものがないかと本棚を見ると「江戸・近代・現代100人の名句・百人一句」が目にとまり読み始めた。

俳句は目に見えるものをきっかけにして目に見えないイメージをザックリと掴み取る。これが楽しい。私はスケッチする時、描きだしてから方向が決まっていくことが多い。描く前にもっと大きく感じるものを掴む工夫をしたいものだと思いながら読みすすめた。

花よりも 団子やありて 帰る雁 〈松本貞徳〉 花の時期に帰る雁は、花より団子か・・・江戸の軽ろ味、笑いである。木枯の 果てはありけり 海の音 〈池西言水〉 行き場のない虚無感は江戸時代にもあったのだ。

うらやまし おもい切るとき 猫の恋 〈越智越人〉 断念したあと、なお燻ぶる想いが。江戸のマディソン郡の橋か。梅でのむ 茶屋もあるべし 死出の山 〈大高子葉〉 切腹前辞世の句とある。大高源吾32才、赤穂四十七士のひとり。

咳の子の なぞなぞあそび きりもなや 〈中村汀女〉 いささか困惑気味。母の愛を詠む汀女の本領発揮。朝顔の 紺の彼方の 月日かな 〈石田波郷〉 茫洋とした広がりに想いが溶けて行く。

海に出て 木枯 帰るところなし 〈山口誓子〉 戦争で飛行機に乗った若者は行ったきりになった。死にたれば 人来て大根 煮きはじむ 〈下村槐多〉 人の死はいかにも自然なことなのだ 

便所より 青空見えて 啄木忌 〈寺山修司〉 ロマンチストは、さり気なくものを云う。人妻に 春の喇叭が 遠く鳴る 〈中村苑子〉 平凡な人妻に何が聞こえたというのか。竹馬や いろはにほへと ちりぢりに 〈久保田万太郎〉 ひとり去りふたり去り、ながい歳月の中での出会いと別れ。

夏バテの一日、この本は想像をくすぐって面白かった。どの句にも流れていたのは洗練された人間くささであった。


2017年8月20日 (日)

気まぐれアトリエ日記(829)・・・秋の京都へ

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教室のスケッチ旅行のプランを探していたら10月下旬出発便にこれだというものが見つかった。
新幹線とホテル2泊で、バスより手頃な価格。移動時間も短縮できる。半分個人旅行みたいな自由さがある。そのかわりバスと違って綿密な準備が必要になる。

初日 浜松駅から新幹線で京都駅まで行き、ホテルに荷物を預け駅前レストランで昼食、奈良電鉄で伏見稲荷へ。ここで自由に散策スケッチをする。この旅行は一か所でじっくりスケッチするよりも、写真プラス小さなメモスケッチ程度で身軽に動くのがいいと思う。健脚組は山の上まで、ゆったり組は途中まで。赤い鳥居ときつねのモチーフが面白い。京都駅に戻り、和食居酒屋で飲み会。

二日目 駅前で朝定食。昼食用に駅弁を買う。これなら自由に動けて食堂で待つ無駄な時間がない。山陰本線で嵯峨嵐山駅まで16分。徒歩500mで渡月橋、そこから300mで天龍寺、100mで嵯峨野竹林、更に400mで常寂光寺、落柿舎、少し足を延ばし600mで化野念仏寺。たっぷり一日フリータイムをそれぞれの体力に応じて楽しむ。更にタクシー相乗りなら自由に移動できる。京都駅に戻ってレストランで食事をする。

三日目 ゆっくり歩いて800mの三十三間堂へ。そのあと地下鉄七条駅から祇園四条駅へ。祇園散策、四条川原町から鴨川スケッチや散策などフリータイム。京都駅から新幹線で浜松へ。

大筋骨組みはこんなふうに考えてみた。みんなで一緒に行動することが基本ではあるが、行きたいところがあればグループでの自由行動もOK。打ち合わせた場所、時間におちあう。出来合いのツアーより自己責任が多くて大変かも知れないが、本来旅行とはそういうものである。その分京都をより身近に感じるものになるだろう。

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