2017年3月30日 (木)

気まぐれアトリエ日記(777)・・・雛人形

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気がつけばもうすぐ4月。出したままの雛人形を片付けないと。一体づつ箱に収める時には来年また会おうねと声を掛けながら和紙に包むのだが今年は、また会えるかなーという思いが一段と強かった。

この人形たちは一度に揃えたものではない。その時その時出会いの思い出につながる人形たちである。私の家で出会って桃の節句を飾った。教室に集った生徒たちのように不思議な縁で繋がっていったものだ。並んだところは、どれもシンプルで簡素である。

福井に旅行した時に購った越前竹人形は飴色になってきた。水上勉の小説では、武生に副業として竹人形を広めた父親が亡くなったあと、息子のもとに芦原から嫁が来た。父親が嫁のためにと作っておいた竹人形に深く感銘を受けた嫁は一対の夫婦竹人形を作る・・・映画では中村雁治郎、殿山泰司、西村晃らに取り巻かれ、人形のような若尾文子の初々しさが心に残る作品であった。

京都上賀茂神社が発祥の地といわれる木目込み人形は、京風の公家姿で簡潔なかわいらしさだ。生徒のSさんが作った浜松張子の雛人形は侍姿である。明治のはじめに旧幕臣が反故紙を使って張り子玩具を創作したものだそうで、いかにも武家好みの趣きがある。

義妹のMが作ったうさぎの雛人形もかわいい。Mは趣味でとてもユニークな人形をつくる。着物姿の人形は妖しげで媚びがなく私は大変気にいっている。玄関の下駄箱の上に置いてあるが、生徒にもすごく人気がある。

伊豆高原のガラス工芸館のクリスタル雛人形は手のひらにのるサイズでかわいい。梶井基次郎が「檸檬」のなかでビードロを舐めた時の幽かな味が好きでよく親に叱られたと書いているが、その気持に通じるものがある。瀬戸物の雛人形はどこで買ったものか覚えていないが素焼きの素朴さが持ち味だ。

桐塑人形は三ヶ日のHさんの古民家で展覧会があった時わけてもらった。桐のおが屑と生麩を練り上げて作るという。この人形は最もシンプルな味わいで、教室に来たHさんはすぐに見つけ出した。

義姉の句の中に「来年も また会おうねと 雛納む」があった。

2017年3月27日 (月)

気まぐれアトリエ日記(776)・・・戦闘機とジャズ

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生徒のOさんから、知人が出演するジャズコンサートに誘われた。用事に追われる日々が続いていたが忙中閑あり、出掛けてみた。有楽街の銀座ライオンで待っているとOさんと友人が現れた。

「Tさんていうんだけど今日ボーカル歌います。元パイロットです」「へー、どちらの航空会社で?」「いえ、私は航空自衛隊浜松基地でジェット戦闘機に乗ってました」穏やかな物腰の紳士だ。パイロットのあとはジャズを楽しんむ日々か。なるほどねー、いろんな人生があるんだ。

会場で初めて知ったのだが、このコンサートはジャズシンガー三輪まゆみさんが指導するNHKジャズボーカル教室の発表会であった。

生徒22名のバックのジャズバンドはブルーノーツだった。10年ほど前まで三ヶ日のHさん宅でよくコンサートを開いていた連中だ。山の中腹の古民家、眼下には浜名湖がひろがり、大きな音を出してもまわりに気兼ねすることのないライブだった。

サックスの阿部ちゃん、トランペットの澄田さん、ベースの奥村さん、ドラムスの日内地さん・・・奥村さんは白髪になり、阿部ちゃんは額が少しひろくなっていた。

三ヶ日のHさんに電話したら懐かしがった。「知っていれば行きたかったなあ」しばらくの間携帯をかざしてライブを流してやった。「聞こえた?今のは阿部ちゃんのサックスだよ」「絵なんか描いてる場合じゃないねえ」彼は教室展の作品を描いているらしかった。

同じテーブルでビールを飲んでいたTさんの出番になった。もうひとり、連れのパイロット仲間に「緊張しますねえ」と云った。私は「パイロットでも緊張するんですか?」「もうドキドキ舞い上がる気分です」Tさんはとてもムーディにシナトラを歌った。「来月の教室展にも是非きてくださいね」「必ずうかがいます」と握手して別れた。

帰りのエレベーターで阿部ちゃんと一緒になったので三ヶ日のHさんが来たがっていたことを話すと「懐かしいですねー。あそこは音がよかったですね。会ったらよろしくお伝えください」

外に出ると小雨が降り出していた。今日はゆったりジャズ三昧の楽しい一日であった。

2017年3月26日 (日)

気まぐれアトリエ日記(775)・・・ガンジス河

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先日、Yさんはインド旅行をしてきたと云ってそれを100号に描こうとしていたが、どうも考え込んでいるようだった。「ショックが大きすぎて描けない」下方にガンジス河が流れているところまでは描いた。

「道には死体が放り出してあって、ゴミを片付ける荷車が来て回収していくの。毎日何百体と処理しているんだって」この光景は振り払おうとしても取れず、気持がふさぐので除霊をしてもらったそうである。

「そのことを描かなくても、生と死が剥き出しになった地を体験したことで命について考えるきっかけになったんじゃないかなあ」とこたえた。

私は藤原新也氏のインド紀行写真集「黄泉の犬」を思い出した。ガンジス河に流れ着いた水葬死体に野犬が食らいつく写真にはキャプションがついていた。「人間は犬に食われるほど自由だ」藤原はこんなことを語っている。

旅先でトラブルに遭った時、その国の人々が歓迎のキッスをしてくれたのだと思うようにしている。トラブルはマイナスばかりではなく想いを活性化する場合もあるからだ。

肉親が死ぬと殺生が遠ざかる。一片の塵芥だと思っていた肩口の羽虫に命の圧力を感じる。草を歩けば草の下に命が匂う。

また、遠藤周作氏「深い河」を反芻してみた。主人公Mは満たされぬ心を埋める「何か」を求めてインドに行く。MはクリスチャンのOと出会い、彼を誘惑して「神を捨てろ」と迫る。揺れ動くOを見てMは「自分は神に勝った」と思った。だが心の空虚さはひろがるばかりでMはOを捨てた。

Mはガンジス河で、一心に祈り続ける人々に圧倒される。やがてMはあらゆる人間の哀しみや苦悩、死までも包み込んで流れていく「深い河」に、いつしか自分が溶け込んでいくような安らぎを覚えるのだった・・・

私はインドを旅行したことがないから、これらの書物で推察するしかないのだが、その後のYさんの絵は本来の明るさとお茶目さを取り戻していった。

2017年3月22日 (水)

気まぐれアトリエ日記(774)・・・まったり感

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そういえば、このところHさんは教室に絵の道具を持ってこなかった。その理由とは正月に自宅で初釜を開いた時家の中を片付け、それ以来どこにしまったかわからなくなった・・・とのことだった。

浮世ばなれしたHさんが、教室におっとりと和やかな空気を運んでくる。教室展も近いのだが特に焦った様子もない。なにか隠し玉の秘策があるのだろうか。

昨年までは書道展で大きな紙に墨で大書していた。それを文字ではなく形象絵画にしてみたらどうだろうと思うのだが・・・

先日もみんなとおしゃべりして帰っていった。しばらくすると電話があった。「手にしていた巾着を忘れた」と云う。アトリエを探したが見つからない。「教室にはなかったよ」「帰りにギャラリーとドラッグストアに寄ったけど、持って出なかったと思うけどなあ」

私は自宅にあるなと直感した。またしばらくして電話で「家の洗面台の上にあった」「やっぱりね」他人事ではない。私も最近忘れっぽい。

Hさんのクラスの様子が変わってきた。Iさんは静かで詩的な水彩具象を描いているが、今日は色面と線による抽象水彩だったが同様に詩的であった。具体的なカタチがなくても絵は描けることがわかってきたのだ。

Yさんは30号キャンバスに赤と緑のアクリル絵の具を垂らした実験的な作品を創っていた。今までにみたことのない試みだ。強くて軽やかであった。

Sさんは50号油彩による抽象。よく計算された画面構成は今まで通りだが、今回はたたみかけるような絵の具の層が迫力と深みを増している。出たとこ勝負の面白さである。

Fさんも常は水彩具象だが、アクリル絵の具を厚くのせて描いている。絵の具の存在感が際立って大胆なイメージチェンジだ。

Nさんは炎を造形化した心象風景を30号キャンバスに描こうと挑戦している。具象抽象を問わず、絵は工夫が大事である。

日は期せずして、全員それぞれの手法で抽象に挑んでいた。クラス全員、このまったり穏やかな空気の中で、作品づくりは確実に進化してきていると感じた。

2017年3月19日 (日)

気まぐれアトリエ日記(773)・・・それでも朝は

我が家に彼岸や盆の読Img_5245経に訪ねてくるお寺さんは40代であろうか。先日母親を亡くした。毎月「寺だより」を送ってくるのだが、今月の随想は母上のことが書かれてあった。淡々としたなかに深い想いが伝わってくる。平易で簡潔、飾り気がなく事象をありのまま綴ってある。

今日、お彼岸でお寺を訪れると若和尚は丁度車で帰宅したところだった。「寺だより」の感想を云ったら、照れくさそうに笑った。

本堂では若奥さんが彼岸の客の応対をしている。位牌堂で手を合わせたあと奥さんに挨拶をし、先ほどの話をすると「あの人あんまり多くを語らないんですよ」「男ってそんなもんです。文の中でもそうでした。かえってそのことが胸に響くもんです。少しはやかったけど代替わりしたんだから頑張って支えてあげてください」

若奥さんは目を潤ませて深く頷いた。私は一礼して、モクレンの蕾が膨らみかけた境内をあとにした。以下「寺だより」の一節を転記させていただく。

山門にはサクランボの花が咲き始め、いよいよ春本番を迎えます。 ー中略ー 母が逝った朝、その日も普通に朝は訪れました。当たり前の話ですが、その普通がかえって記憶に残っています。

その日、朝の座禅が終わる頃、妻が呼びに来ました。急いで母のところへ行くと、もうすでに息が止まっていました。「お疲れ様」そう云って、まだ温かい母のおでこを撫で声を掛けました。たぶん声は聞こえていたと思います。子供たちも出掛ける前で皆、傍にいました。

昨年、腹膜に癌が見つかり、手術が難しい状況の中、抗癌剤治療等はせず自然のまま行けるところまで行くことに決めて半年弱。年明けまではごく普通に生活が出来ていました。

最後は2週間程の在宅療養が出来、家族が見守るなか静かに息を引きとりました。泣きはらした目のまま、子供たちはそれぞれ学校や仕事に出掛けて行きました。

私はというと、朝の豆炭おこしです。我が家はずっと豆炭こたつなんです。薪となる枯れ枝を探しに山の中をちょっと散策し、七輪で豆炭に火をおこします。

その日も、いつもと変わらない朝の支度。いつもの通りの光景が目の前にありました。七輪の中の揺れる炎を眺めながら、さっき母が亡くなったばかりなのに、そういうこととは全く関係のない、人の想いから一切離れたこの目の前の事柄。

この、人の生き死にとは無縁の様子は不思議と静かな時間の流れのなかに存在していました。特に取り立てて慌てる必要などありませんでした。「死」とは、まさに生きている人の上にある問題なのだということを改めて実感するものでした。

火のおきた豆炭をこたつに入れ、朝食をいただき、ごくごく当たり前の朝の時間が、ごくごく普通にあったそんな日でした。

2017年3月18日 (土)

気まぐれアトリエ日記(772)・・・雪は降る

もう16年も前のことになる。浜Img_5537北文化センター講座室で公民館祭りがあった。私の教室も水彩画を展示していた。そこに女性4人組が来てくれ、熱心にみていた。彼女たちは絵手紙講座に通っていたらしい。水彩画を習ってみたいといい出し、4人揃って私の生徒となった。

Iさん、Kさん、Tさん、Yさんは苗字にそれぞれ「ま」がつく。私は勝手に「ま組」といっていた。YさんとKさんは何年か前に卒業していったがIさんとKさんは教室に通ってきている。彼女たちは活動的で、シャンソン教室、山歩き、ダンス教室、旅行など多忙な日々を送っている。

シャンソンの発表会も何回か聴かせてもらった。Tさんは堂々として声も通り妖艶な雰囲気、Kさんは可憐な感じで小首を傾げながら歌うのだが、ご主人を亡くして間もない頃の発表会でアダモの「雪は降る」を歌った。「雪は降る、あなたは来ない・・・」歌っているうち込みあげてくるものがあったのか詰まって歌えなくなってしまった。

この間の発表会では、すてられた女の未練と、すてた男への思いを切々と歌っていた。最後に「あんなやつ!」っていいながらほうった花束は右手の方がよかったか左手がよかったかと訊かれたが、私にはどっちでも同じように思えた。

昨年秋、TさんとKさんは京都伏見稲荷に行った。雨上がりの石段は滑りやすくKさんは転んで膝を強打してしまった。なんとか帰ってきて医者に診てもらうと膝の皿にヒビが入っているといわれたそうだ。

教室も3カ月休んで今月久しぶりに戻ってきた。「久しぶりー」とみんなよろこんだ。Kさんは、なんだかかしこまって菓子折りを持っている。「みんな教室展の作品出来ているのに私は出す作品もないし、この辺で卒業させていただこうと思って・・・」と云う。

私は昨年秋のスケッチ旅行を思い出した。Sさんは「体力に自信がないからやめておく」と云った。体のことだから無理云ってはいけないと思い「わかった」と返事をしたが、後日他の生徒に「先生は引き留めてくれなかった」とぼやいたそうだ。

Kさんは迷っている。やめてしまったらそのうち淋しくなる日が来るだろう。私は「Kちゃんがやめたら淋しくなる」と云った。16年の付き合いだ。Kさんは後ろむきのまま小さな声で「私だって本当はさびしいんだよ・・・」一呼吸入れてから「じゃあ続けてみることにするね」と云った。

今週、教室に来たKさんは血色もよく笑顔だった。「元気そうな顔してるね」と云うと「私がやめると淋しいって云ってもらったので元気が出たの」Kさんは教室展に間に合わせようと油彩をせっせと描いて帰っていった。


2017年3月13日 (月)

気まぐれアトリエ日記(771)・・・多忙な月

私が関わっているImg_5669_2展覧会は4月になると毎週切れ目なく開催される。それらに向けて3月は制作に追われながら準備作業をすることになる。展覧会は以下の順に開かれる。

4月3日~9日 「第2回尾崎放哉との対峙展」 銀座3丁目松屋うら・ゆう画廊 7名によるグループ展 (10号~20号3点出品)

4月11日~16日「第21回現代作家美術展」 秋野不矩美術館 13名によるグループ展 (50号3点・サムホール1点出品)

4月17日~23日 「第17回アトリエYOU・スイスイアート・杉友会展」 生徒60名による教室展 (150号1点・8号2点出品)

4月25日~5月7日 「第13回浜松美術協会展」 前期・後期に分けて油彩・水彩・パステル・日本画・彫刻・造形・版画・工芸など会員200余名による展覧会 (150号1点出品) 

私は教室展に向けて次のような準備の最中である

案内葉書の制作と配布・生徒用準備スケジュール書類作成と配布・作品搬入業者との打ち合わせ・作業分担打合せ・新聞社ほかに後援依頼・全作品名記入表に従がってネームカード作成・鴨江、都田教室の作品を私の車に積んで半田教室に運ぶ・展示作業当日の昼食弁当、お茶の手配・受付当番表打合せ作成・会場作品配置図を作成、展示当日参加生徒全員に配布・打ち上げパーティの会場手配と参加者募集、会費集金・業者のトラックに積み込みと降ろす人員の確保・案内葉書200枚郵送・4月1日クリエート浜松次年会場申し込み抽籤・屋内外看板制作・芳名録他受付事務用品調達など・・・

私が多忙なことを気遣ってくれる生徒達からは、準備作業を生徒に分散させたらと云ってくれるのだが、教室の場所も時間帯も違う10クラスの合同展なので毎週各教室で打合せをしてすすめていくしか方法はない。生徒にまとめ役を頼むのは無理なのだ。

今年度は自治会の役がまわってきて、先日も地域の祀りごとの協力金の集金、自治会総会の委任状受け取りなど19軒をまわったが留守のお宅も多かった。宅急便の再配達が問題になっているが、気持はよくわかる。4月に入ると地域の祀りごと、防災委員の会合と自治会総会もある。

3月4月はほんとに多忙な月だ。

2017年3月11日 (土)

気まぐれアトリエ日記(770)・・・ギャラリートーク

教室展は4月17日午前中Img_0346に展示を終え、生徒全員でお弁当を食べ解散となる予定である。毎年午後から開場するのだが、今年は島田の山本晶司先生にギャラリートークをお願いした。午後1時から生徒の作品にアドバイスをしていただく予定になっている。示唆に富んだ楽しいお話が聴けると期待している。生徒以外の皆さんにも是非ご参加いただくようお願いします。

このあいだ本棚を整理していたら第6回富嶽文化賞の画集に山本先生の抽象作品と顔写真を見つけた。まだ50代の若い写真であった。その作品には次のような酒井忠康氏の評が載っていた。

「この種の仕事は雑然とした印象をあたえやすい。ちらかった画面となってしまうからである。しかし、この絵は絵画を成立させているさまざまな要素を見事に駆使して、そうした雑然とした印象から脱却している。おそらく作家のすぐれた手腕によっているのであろう。強いイメージをあたえ、なかなか洒落た作品である」

酒井氏は「早世の天才」や「海の鎖」など数多くの美術評論を執筆している一方、神奈川近代美術館では土方定一氏のもとで学芸員をし、その後世田谷美術館館長などを務めている。その酒井氏からMさんを介して、富嶽文化賞展に出品した私の作品に手紙をいただいたことがあった。氏が審査員をした時のものだった。

その手紙は私の絵をじっくりみて批評してくれたものであった。少し辛口だったが氏の人柄や絵画観がにじんでいて、感激するやら恐縮するやらだったことを覚えている。それは次のような経緯で私のところに手紙が届いたのだった。

私は教室の生徒Oさんとは40年来の友人である。昔、Oさんのお宅に遊びにいった時に前出のMさんも来ていて知り合いとなり、それ以降懇意にしてもらった。OさんとMさんは高校の野球部でバッテリーを組んでいた仲だといった。Oさんはキャッチャー、Mさんはピッチャーだったそうだ。

高校卒業後、Mさんは慶応大学に入った。北海道から慶応に進学してきた酒井氏とはそこで出会い、同じ下宿に住み無二の親友になったと語った。Mさんはその酒井氏宛てに、私の作品について感想を書いてくれるよう依頼してくれたとのことだった。

Mさんは宝石店を経営していて、私に個展をするよう勧めてくれた。20代だった私はMさんの宝石店2階ギャラリーで初めての個展をした。その個展の案内葉書を見て、行動美術の大庭先生が訪ねて来てくれ色々な話をしていった。それがきっかけで行動美術に出品するようになった。そのMさんも10年ほど前に亡くなってしまった。とてもダンディな容貌とお人柄であった。

その時の酒井氏の手紙を探してみたのだが、どこにしまったのか皆目見当がつかず、見つからず仕舞いになっている。

2017年3月 8日 (水)

気まぐれアトリエ日記(769)・・・一期一会

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お彼岸も近いというのに今日は冷たい風が吹いていた。春は名のみの風の寒さよ・・・。我が家の小さな庭にしばらく咲いていた水仙の白に変わってチューリップの芽が出てきた。球根を30個ほどもらったので去年秋に植えておいたものだ。

南京ハゼの落ち葉の中から鮮やかな黄緑の蕗の薹が、これも30個ほど芽を出した。義妹が蕗味噌にすると云って摘んでいったが昨日壜に詰めて持ってきてくれた。ほろ苦い春の味だ。見落としそうなところでクリスマスローズも一輪俯いて咲いた。

テーブルに置いた林檎を毎日眺めているうち、だんだん色が変わっていった。はやく食べればいいのに、なんとなくそうしてみた。

島田の山本晶司先生の個展に行った時こんな話をされた。「皆さん、花は綺麗な時だけ描くけど枯れて土に還るまでが花の一生なんだ」枯れた花や木の実も美しい。自己を投影するかのような命を見つめる視線が深い美を創る。先生は「自画像のようなもんだよ。このあいだショーウインドウに映った自分の姿はスルメかと思ったよ」

100才を超えた日本画家、小倉遊亀がマンゴーを描いていた。なかなか完成にしない。腐るまで放っといて、最後に「まずそうなマンゴー」とひとこと。みずみずしいマンゴーだけでは表現できない何かがあったのだろうか。

NHKアーカイブスで囲碁の藤沢秀行が14才のプロ棋士を指導していたが「この歳になると明日がわからない。一期一会だ。それにしてもなかなか力があるなあ」少年はうれしそうにはにかんだ。秀行さんは「うしろで肩を揉んでくれている子は力があるなあ」破天荒で定石を嫌った秀行さんらしいおとぼけぶりであった。

命は永遠ではないのだということを実感するようになった。気持は若い頃と変わらないし、成長などした気もしないのにいつの間にこんな歳になったのかと驚く。

山本晶司、藤沢秀行、小倉遊亀の面々が語る言葉はユーモアに包まれ、しかも身に沁みて感じるものがある。

2017年3月 6日 (月)

気まぐれアトリエ日記(768)・・・空白に向き合う

Tさんが新聞の切り抜きをImg_0344手に教室に入ってきた。「これ、目からウロコが落ちるような記事だった」と云って私に手渡した。芥川喜好のコラムである。

昔、読売新聞日曜版にたしか「日本の四季」というタイトルで画家の作品と人物を解説していて私は毎回楽しみにしていた。切り抜いて段ボール箱に保管していたのだが置く場所に困って昨年処分した。

コラムを読んで、なるほどねーと思った。Tさんは水彩小品を制作しているが常に表現の工夫をする人で毎回大胆な実験をする。私は常々「白い平面に絵の具のシミやタッチをどうつけるかが絵だよ」とアドバイスしている。

横倒しの紙にポタポタ絵の具を落として次第に具象のカタチが現れたり、書道の墨を水に浸しながら線を引いたり、抽象具象の別なく工夫する。

始めに「想い」をもつことは大事だが表現に工夫がなかったら観念的なものになってしまう。絵は頭では作れない。「遊び」という最も自由で深くて不思議な感覚を駆使し、それを磨き育てていくものだと思う。

なんの捉われもなく自由に描いたとしても無意識の中に作者は滲み出る。一に工夫、二に工夫。工夫こそが作者が絵に挑む「想い」の本質である。

「目からウロコが落ちる」芥川の文章は以下のようなものであった。その一部を転記してみたい。

「絵を描く人」の前に広がるのは、白い紙、まっさらなキャンバス・・・何かが始まる前の空白の領域です。絵を描く人とは、つまり空白に向き合って生きてきた人間のことです。

その荒涼とした広がりに向かい何ごとか思念を凝らして、そこに形あるものを築こうとしてきた。強靭な神経を要する仕事です。自分に見えている世界を語るという意味では哲学的な行為といえなくもない。

他の美術のかたちに比べても絵画は簡易な成り立ちであり、基本的に二次元の平面世界に線や色彩の跡を残していくだけのものです。種も仕掛けもない。その単純さの中から、古今東西豊穣きわまりない造形が生まれてきました。

たとえば白い紙にためらうように置かれた一本の線。単なる小さな線分にすぎない痕跡であれ「それはすでに生きはじめているのだ」と、現代画家宇佐美圭司氏は言いました。絵を描く人とは、線が肉体をもつことを知る人、線一本に身を投入することができる人なのです。(以下略)


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