2017年7月22日 (土)

気まぐれアトリエ日記(820)・・・しんがり

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美術雑誌から暑中見舞い名刺の掲載依頼があった。日頃お世話になっている雑誌社なのだが、名前を載せるだけというのはなんだか自己顕示みたいで気がすすまない。「申しわけないけど名前だけというのはどうも趣味じゃないんで・・・」と断り、時間ができたので
そのあと鷲田清一の「しんがりの思想」を読んだ。

名もない石工が昔築いた石組みの堤防を見て、石工は感動した。「実にいい仕事をしている。褒められなくても自分の気のすむような仕事がしたいものだ。オレもこんな仕事を残したい」と思った。

これが「しんがりで支える」ということだと云う。政治家などにおまかせでなく自分の担う「しんがり」をしっかり自覚すること。それは自己顕示とは違う裏方のもつ美意識であろう。

トランプを始めリーダーの動向が話題になっている昨今だが、社会を力強く引っ張ってくれる強いリーダーを我々は求めてきた。なのにどうしてこうも閉塞感を感じるのだろう。

右肩下がりの縮小社会へと歩みだした日本で本当に必要とされているのは、登山でしんがりを務めるように後ろからみんなを支えていける、互いに助けあえるようなフォローアーシップな人なのだと語る。

そして人まかせでなく、いつでもリーダーの代わりが担えるような準備を怠らない人材が必要だというのだ。強いリーダー依存症の国民が招いた結果であろう。

今必要なのは声高に自分を主張する人ではなく、一生懸命他者の意見に耳を傾ける人である。今の私に出来ることは、名もなくしんがりが務められる人間になることだろう。

2017年7月19日 (水)

気まぐれアトリエ日記(819)・・・絵を楽しんだ人生

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昨日、元生徒の斎藤勝弘さんから連絡が入った。「白井美知也先生が亡くなりました」とのことであった。10数年前、白井先生の勧めでSさんら数名は私の教室に入った。先生の薫陶を受けた人達はみんな穏やかで熱心であった。

先生の大個展を磐田市に観にいったのは、もう6年前のことになる明るい色調の静物画や風景画が並んで、長年教育に携わった先生の素直で高潔なお人柄が滲んでいた。白髪長身で柔和な先生と個展の世話役の人達とで近くの食堂へ昼食に行った。天ぷらうどんを食べながら初めて知るような地元先輩画家達のエピソードなどをうかがった。

 私の教室展や個展には斎藤さんの車で毎年観にきていただき、かつての弟子の作品をうれしそうに目をほそめて眺めていた。

先生とは、ここ数年FB友達としてお互いの作品について最近までコメントをやりとりしていた。私の雑木林のスケッチに「村の物語が聞こえてきそうです・・・」が先生の最後のコメントとなった。

 通夜には20分程はやく着いたので、いつも先生がFBで散歩していると云っていた鎌田神明宮にはじめて寄ってみた。鬱蒼とした参道には涼しい風が吹いていて、ここだったのかとゆっくり歩いてみた。

 通夜の列に斎藤さんが並んでいた。穏やかな顔をした先生にお別れをしたあと、斎藤さんに「お茶でもどうですか」と誘われ喫茶店で先生のことや今は亡き生徒のことなどいつまでも話は尽きなかった。

 帰ってから6年前の個展の折、先生からいただいた冊子を探してみた。「絵を描き楽しんで米寿」の表題で、改めて読むと次のようなことが綴られていた。

 早く亡くなった父を私は知らない。父は私に「美知也」という名を残してくれた。この名前によってか私は絵を描く人生を送ることになった。母は私を連れて在所の農家に手伝いに行き、夜なべの脇で私は絵を描いた。

 小学校5年でI先生から水彩の指導を受け、あんなにグチャグチャのパレットからきれいな色が生まれるのに驚いた。師範学校に入り初めて油絵を学んだ。油絵を描く同期のK君は岡崎出身で都会の雰囲気を持っており、田舎者の私には憧れであった。

 教員になってから久野彰先生、鈴木儀平先生、求正美先生らと「磐田絵の会」を発足させた。昭和40年頃「ちぐさ」という小さな喫茶店ができ、絵を展示させてもらった。以来「ちぐさ絵の会」は今でも続いている。

 退職してからは桶が谷沼をよく描いた。イトトンボ、ササユリ、ヤマフジなど沼の四季に魅かれて描いた。今度の展覧会で30才頃の水彩作品を見て内心ドキリとした。この展覧会がすんだら、また仕切り直しである。

 絵を描くとはこんなものだろう。残り少ない人生だが、まだ見ぬ自分の表現を求め続けよう。それがまた楽しみである。

敬愛する先輩がまたひとり去っていった。

 

2017年7月18日 (火)

気まぐれアトリエ日記(818)・・・上品と下品

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初盆も終わり、ちょっと一息。脚立から落ちて打ったおでこや目の下の青痣も大分とれてきた。先日Hさんから面白いと勧められた田辺聖子の「人生はだましだまし」を夜読んだ。

クスクス笑いながらのひとときだったが、その中でお聖さんは上品と下品について次のように語っている。

下品な人が下品な服装、行動は正しい選択であって下品ではない。しかし下品な人が身にそぐわない上品なものをつけているのは下品である。また上品な人が、その上品さを自分で知っているのは下品である。

反対に下品な人が自分の下品さに気づいていることは上品である。上品というのは何でも初めて出くわすというような、慣れぬ風情で対応することであって手慣れた風情は下品である。

そういえば先日の寺施餓鬼では坊さん10数名による読経が本堂に響きまことに荘厳だった。そのあと、どこかの名刹の坊さんが法話をした。

人の道とはという例の話は観念的で、上品そうだが上から目線は子供を諭すような調子だった。申し訳ないが生涯お経を唱えてきた人の人間の解釈の浅さが透けてみえた。

掛井五郎展は稚拙で子供の落書きのような剥き出しの造形だったが、とても知的で上品だった。

浜松市美術館で開かれているビートたけしの「アートたけし展」をみたが、くすぐりや悪戯が満載で楽しかった。これぞ芸人魂、何より目線が低い。人間の解釈に巾があって深い。

そこで私が考える下品とは「自分の云っていることに酔っていること。上から目線で人にモノを教えてやろうとすること」と定義づけたのだが。

91才井上さんなら「それも人間臭くて結構じゃないですか」と笑って許してしまう気がする。

2017年7月14日 (金)

気まぐれアトリエ日記(817)・・・初盆の朝に

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今日はオフクロの初盆である。朝からバケツをひっくり返したような雨が降って、庭はみるみるうちに水がついてきた。悪い日になったと思っていたが、そのうちに雨があがった。

そういえば南京ハゼの大きな木が隣の駐車場の屋根に覆い被さっているので涼しいうちに切ろうと脚立を出してギコギコ。半分切れたところで枝は屋根の上にドサッと寄りかかった。

のこぎりは枝に挟まってどうにも動かない。脚立の上に乗って力を込めてひいてみた。次の瞬間フワーっと傾いて木の幹に顔をぶつけ、気がついたら地面に叩きつけられ眼鏡はすっ飛んでシャツは破れ血が滲んでいる。雨で緩んだ地面に脚立の足が一本めりこんだのだ。

おそるおそる鏡を見ると額には大きなコブ、右目の下はまっ黒になっている。視力を確かめると目は大丈夫そうだ。カミさんにはこともなげに云って念のため近所の内科へ。これは脳外科に行ったほうがいいと云われどこも心当たりがないままに二駅先の皮膚科を訪ねた。

看護師さんが血圧を測ると170-120と、とんでもなく高くショック状態である。常は130-80前後なのに。「右目で私を見てください。どうみえますか」「きれい」「はい、正常です」医者は「もし気分が悪くなったら、すぐK病院の脳外科に行ってください。話をしておきます」と云ってくれた。

家に戻ると携帯で連絡をしておいた従兄弟がピンチヒッターで受付をしてくれていた。訪ねてくる生徒達は私の顔を見てビックリ。説明に明け暮れた。なかにはナムアミダブツと手を合わせる生徒もいて、私はお岩さんのように顔の前に手をダラリとしてみせた。

「明日はもっと痛くなるよ」「真っ黒く腫れ上がるから」「痣が残る」と笑いながら脅かすことばかり云って帰っていく。夜中に目が覚めたのでトイレに起きて鏡を見たら黒いところが赤く変わって大分薄くなってきている。

「大難は小難に小難は無難に、どうかお導きくださいお守りください」と云って仏壇に手を合わせていたオフクロの言葉を思い返した。この分ならあと二日なんとか乗り切れるだろう。

2017年7月12日 (水)

気まぐれアトリエ日記(816)・・・「捨てる」と「拾う」

生命保険会社から見直しプImg_5079ランのパンフレットをお送りしますと電話があった。電話嬢は「おいくつになられました?」と訊く。応えると「まあ!お元気でおめでとうございます!」おめでとう?と云われるようなトシかよ!

「どこかお悪いところはありませんか?お薬を飲んでいるとか通院されているとか・・・」丁寧に云ってはいるが健康について探りを入れている。沈黙のあと「どうして見ず知らずのあなたにそんなこと応えなくちゃいけないんですか?」私は少し不機嫌な声を出した。

「以前の契約から随分経ってますからお伺いしてるんです。現在はもうお仕事も終わられ、お悪いところもなくお過ごしでしょうね?」これじゃまるでご隠居さんだよ!

「仕事はしてますよ」「えー!お元気ですねー!」持ち上げてるつもりだろうけどだんだんムッとしてきた。「じゃー」と電話を切ろうとしたら「最後にもうちょっとお伺いしますがポリープや痛いところなどはございませんか?」「ありません!なにもかも元気です!」ガチャ!

長寿でめでたいといわんばかりで、こんなに年寄り扱いされたことなどなかった。若い電話嬢からみたら老人なのか。まだ60代だ、自分をトシだと思ったことなど一度もない。

夏目漱石論の講座をしている折金先生がFBで口髭姿の顔をアップした。 私「つけ髭?本物?」 折金先生「つけ髭です。よく出来ているでしょ」 私「本物かと思いました。白いものが混じって進化してます」 Hさん「日々の充実ぶりがお顔にあらわれていますね」 折金先生「なにかをあきらめた顔にも見えませんか?」うーん、含みのあるコメントだ。若さも含め、ひとつずつ捨てて諦めていくという風にも受けとれる。

絵を描く時だってそうだ。いくつものアイデアを出し、ひとつずつ捨てていく。その挙句はじめの意図とは似ても似つかないものになってしまうことすらある。

捨てずに残そうと、ああでもないこうでもないと足掻き固執しているときには見えてこない。が、そのアイデアを捨てると不思議に新しい展開が見えてきたりするものだ。

「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」「捨てる神あれば拾う神あり」捨てるということは味なことである。川柳では「老いぬればメッキも剥げて生きやすし」捨てることは受け入れることでもある。

保険屋の電話にムッとするなんて、まだまだ肩に力が入っている未熟モノの私です。

2017年7月10日 (月)

気まぐれアトリエ日記(815)・・・満艦飾

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奥の座敷はお盆飾りに占領され満艦飾状態になった。来客用にもう一部屋、片付けた家具はもう
一部屋にと、6月下旬から7月中旬まで絵を描くスペースはない。

物置と化した部屋に0号連作を置いたので用事の度、目に入る。それを見ながら絵の力のなさを痛感した。

小さい絵の魅力とはカタチの強さ、味わい、美しさに尽きる。複雑な要素が入る余地などない。要するにアクセサリーや飾りで見せる余地がないのだ。

シンプルなカタチが要求される。空きスペースも同様の強さ、美しさが必要になる。ただ単純なカタチというだけでは平凡だ。カタチに工夫がなくてはいけない。

例えば俳句は短い文章であるが、しかし簡単に出来るわけではない。想い、工夫を凝縮させるため推敲を繰り返す。その行為に心の在り様が滲みでる。

小品では描写の上手い下手はあまり関係がない。絵の良し悪しはパッと見た時に感じる全体の色調、大まかな画面構成など抽象的要素にあるのだ。

描写は訓練により取得できるものだが、感覚を揺さぶり胸に響く造形は心のうちに起る抽象的要素を磨くしか方法がない。これを磨くことが絵の本質に一番近いものだろう。しかし、しっかりしたカタチをあらかじめ想定しているとそれに縛られて不自由になる。

まず地塗りとマチエールづくりに時間を使って、はっきりとカタチを決めずにおき柔軟に構えれば、もっといいカタチ面白いカタチに出会えるかも知れないと思う。

制作する時間はないが、用事をしながらああでもないこうでもないと考えることは出来る。

2017年7月 6日 (木)

気まぐれアトリエ日記(814)・・・ヨッテクダマク

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世間の慣習に疎い私はオフクロの初盆の準備をしながら、こういうことをするんだと初めて知ったことが多かった。それにしても用事の多さに驚いた。遠州地方は特に派手だからねと、まわりの人達から聞いてはいたのだが。

内施餓鬼の準備をしていると電話が鳴った。昨年教室を卒業していった中井さんの息子さんから「親父が亡くなりましたので」との連絡だった。

足腰が弱くなったと感じてはいたが、まだまだ元気にやっていると思っていたのに。夜間の部の教室を抜け出してお通夜に行ったら、中井さんが水彩で描いた花や山の絵が笑顔の顔写真の間に飾ってあった。

中井さんは18年前に教室に入った。半田教室の生徒第1号であった。撚糸業をしていて、教室を訪ねてきた日に「ワシは昼も夜もヨッテクダマク人生です」と云った。精神科医で作家の、モタさんこと斎藤茂太と瓜二つの風貌であった。

親分タイプの中井さんはもうひとつの顔を持っていた。サッカー界の草分けでJリーガーも育てた。現在解説者として活躍している武田修宏さんや俳優になった筧利夫さんも彼が指導した人達である。

教室のスケッチ旅行にはいつも奥さん同伴で「若い頃の罪滅ぼしだよ」と舌を出してみせた。宴会の乾杯音頭は中井さんの出番だった。犬吠埼、上高地、八ヶ岳、郡上八幡、九州一周など一緒に遊んだ思い出は尽きない。

オフクロの内施餓鬼が終わって、お盆の追加注文に葬祭場へいったら丁度葬儀場から息子さんと娘さんが出てきた。奥大井のスケッチには息子さんらも参加して蒸気機関車に乗った話やら数々の思い出を立ち話しした。

中井さんは今年の冬、息子さんの車で私の家を訪ねてくれた。車に行くと窓から乗り出して「いやー楽しかったなあ、本当にお世話になった。ありがとう、ありがとう」と手を強く握ってきた顔が浮かんでくる。

「88才になったら個展をやりたいなあ。その前にコテンといかないようにしなくては」と笑っていたが享年86才であった。

またひとつ時代が過ぎていった。

2017年7月 1日 (土)

気紛れアトリエ日記(813)・・・空想の花

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91才の井上さんは最近油彩で花を描いている。下からするすると茎が伸びた先に萎れかけたような花が咲いているのだ。井上さんのことだから、ただの花を描くとは思えない。

「枯れかけた花が面白いんですよ」と云いながら描いている。空想の花だから抽象に近いのだが、どうも仕掛けがあって色々連想させる。

「あんな花、こんな花って思い出しながらですねー・・・」ユーモラスなカタチにしみじみとした感慨を催すのは、生きてあることへの愛惜やその余情のようなものだろう。井上さんは多くを語る人ではない。絵も同様に奥にある心情は隠して見せないから、こちらが勝手に感じるしかない。

「もうこの歳だから何を描いても許してもらおうと思って」と自称不良老人を自認する井上さんは笑った。人間に起きるあらゆる感情を許してしまう懐の深さと温かさを感じる。

何年か前にホテルのギャラリーで個展をした。丁度正月だったので「松竹梅」というタイトルがついたおめでたい絵があった。よくみるとどうも隠されたものが見えてくる。ひょっとしてウタマロのマクラエか?「何か隠れているでしょ?」「わかりましたか」と笑ってみせた。

波乱万丈の人生を送ってきたからだろうか。茶目っ気で包んだ人間の解釈が飾り気もなくズバッと切り込んでくる。これが年輪の芸というものか。

人生ってどんな感じに映っているのか訊いたことがあった。「うーん、こんなもんかなあって感じ」と云っていた。簡単なこたえにみえるが、その歳にならないとわからない感じってあるんじゃないだろうか。

T先生は「実感」についてこう云った。焼けた火箸を握ると熱いは誰でも理解できる。実際に焼けた火箸を握った者が熱いと感じる感覚のみが実感である。

私がその歳まで生きられる保障はないが、出来ることなら生きて「こんなもんかなあって感じ」を肌で感じてみたい気がする。

2017年6月26日 (月)

気まぐれアトリエ日記(812)・・・無償の愛

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年一回の浜松美術協会による裸婦デッサン会があった。会場には60名余が集まり、その中に学芸高校美術科の生徒20名も参加していた。

会の世話係Hさんから講師をと依頼され、一枚描いてはデッサンをみてまわる、を繰り返していた。高校生は美術専攻だけあってパワフル。毎日4時間デッサンしているそうだ。

木炭で一生懸命描くあまり暗部の調子が単調になった生徒には「暗部は明るさを含んだ美しい陰りと解釈したい。練ゴムで微妙な調子を出してみたら」とアドバイス。

空間との関係に気がまわらない生徒には「がっちり描くだけではなく、空間と結びつく画面全体の気配が欲しい。隠す工夫も考えて」ある生徒は暗部に溶け込んだ部分がとても魅力的になった。隠すことは強い表現である。

顔とセーラー服を真っ黒にして描いている生徒がいた。夢中になれるって素晴らしいことだ。「顔洗って帰れよー」とアドバイス?少し一本調子なので「明暗を更に簡潔にし、暗の中の暗、明の中の明をもっと追及してみたら」と云ってみた。部分にとらわれると陰がヒョウ柄のようになってしまう。「絵は大きく全体に」を身につけたい。

デッサン終了後、生徒の作品を並べて30分ほど講評会をやってほしいと云うので、突然の話ではあったが絵に取り組む姿勢について少し話をさせてもらった。

私はある先生から〈お前は出来の悪い子供をもった親のようなもんだ。将来、金持ちや大臣や博士になったりすることはないだろう。絵を描くにあたっての最後の砦は無償の愛だ。ただそれによって日々報われればいい〉といわれた。先生は私に出来ないことは云わなかった。今日はみんなそれぞれの想いで取り組んでいて感動した。

絵は教えられることと、教えられないことがある。井戸水と釣瓶の関係に似ている。釣瓶は想いを汲む描写力。想いを伝えられるだけの技術があればいい。井戸水は工夫による味わい、面白さの発見で、これはひとりひとりが孤独に取り組むしかない。絵は忍耐と「今度こそうまくいく」という楽天性が必要だ。

それぞれの人生観を縦糸に、造形感覚を横糸に、この子らにどんな物語が織り込まれるのか。キラキラした眩しい眼差しを受け、思わず「老兵は消え去るのみ」とわけのわからないことを云ってしまった。

気まぐれアトリエ日記(811)・・・行く川の流れは

少し時間が出来たので久Img_0727しぶりに都田川をスケッチした。もうすっかり夏の色になっている。川の流れをスケッチしながら、ふと鴨長明の「方丈記」を思い起こした。

「行く川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結び 久しくとどまりたるためしなし 世のある人と栖と またかくのごとし」

「方丈記」は武家勢力が台頭し、政治の権力闘争や戦乱で実感した混沌と、合わせて相次いだ天変地異に対して冷静で的確な観察眼、批判精神を発揮し記したものである。長明は無常な世の中をただ絶望していない。現実を受け入れながら自分らしく淡々と生きている。

「身分の高い人や低い人の住まいは時代を経てもなくならないもののようだが、これが本当か調べてみると昔からあったままの家はむしろ稀だ。住む人もこれと同じである。朝にどこかで誰かが死ぬと思えば夕方には誰かが生まれる。この世の姿はちょうど水の泡と似ている。

私にはわからない。いったい生まれ、死ぬ人はどこからこの世に来て、どこへ去っていくのだろうか。この世は一時の仮の宿に過ぎない。権力闘争に明け暮れ自分を見失い、顧みないとは一体どういうことであろうか。

朝顔の花と、その花につく露の関係と変わらない。あるときは露が落ちてしまっても花は咲き誇る。残るといっても朝日の頃にはしぼんでしまう」

いかに天下国家に疎い私でも昨今の世の中はどこかおかしいと感じる。時の為政者はお友達のK学園に獣医学部をつくらせるため、他の大学を排除する仕掛けを考えた挙句、補助金96億円と37億円相当の土地をプレゼントしたそうだ。

この件を野党が追及すると、首相は「質問に品がない。だからM党は議席を減らしたんだよ」には開いた口が塞がらなかった。議席数による数々の横車はなんとかならないものだろうか。あるマスコミも、真相を語ろうとしたM氏の口ふさぎに不自然な誹謗中傷の片棒を担いだ。

国民の声に聴く耳を持たない庶民目線不在唯我独尊内閣は、来たる都議選で手痛いツケを払うことになるであろうことは政治素人の私だってわかる。

なんの力もない私には「親の意見と選挙の結果は、あとで効いてくる」と思うしかない。なにはともあれ及びもないことだが、鴨長明のような眼差しでスケッチ出来たらと思うばかりである。

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