2017年5月26日 (金)

気まぐれアトリエ日記(799)・・・小さな棚田

木曜日はよく雨Img_0647が降る。昨日の都田教室もそうだった。室内で描く静物モチーフを積んで公民館に向かった。講座室で打合せをしていると雨があがった。それなら毎年描く棚田を描きに行こうと決まった。

小さな棚田は水が入ると空を映し林を写す。水の底の土も透けて初夏の色である。みんな工夫を凝らして熱心に描いた。今月の教室もこれで終了だなと思いながら家に帰ってきた。

明日は午前中に油彩を描くことにしよう。この頃はキャンバスボードに一日一枚を目標に制作している。どんな絵になるかは描いてみないとわからない。落書き気分で気楽にやっている。

午後は盆飾りを決めに行って、どんな準備をしたらいいのか訊いてこよう。さあ描こうとしたらAさんから連絡が入った。「先生、今どこにいるの?」「家だよ」「今日は教室の日だけど」第4週だから教室は終わったと勘違いしていた。ゴールデンウィークで第1週はお休みしたんだっけ。

急いで鴨江教室に向かう。到着後、みんなには教室の仕組みが少し変わる話をした。先週、夜間クラスの男性Mさんが、当初の目的だったデッサンの勉強をひとまず完了にしたいと云った。となると、このクラスは女性のKさんだけになる。

Sさんも在籍しているが介護の仕事が忙しく、昨年からは親の世話をしているため長いことお休みしている。Kさんは「本当は昼間の教室がよかったんですけど空いていないようだったので」今まで云い出せずにいたんだ。Sさんに事情を話すと「私も半田教室の昼間の方が都合いいんです」みんな遠慮していたのか!というわけで18年続いた夜間クラスは一旦閉鎖することにした。

教室展に出品したSさんの130号は「私はもう使わないので先生にあげる」と云ったが私は断った。介護の仕事は体力がいる。いつまで出来るかわからないが退職してから自分をぶつけるものがなかったら寂しい。半田教室の昼間に来るのはSさんのためにもいいと思った。

「今は大変でも続ける工夫をしてほしい。教室に来たら物置にある130号に手を入れて出品すればいい。少し無理してでも繋げるようにしてほしい」Sさんは頷いた。Sさんは絵をやめたいなどと思う人じゃないことは10数年来の付き合いでよくわかっている。続けていれば必ず絵があってよかったと思える日は来る。

私が公募展退会も考えなおすよう説得したことはいうまでもない。

2017年5月24日 (水)

気まぐれアトリエ日記(798)・・・アザミの道標

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友達と食事会があると云ってカミさんは出ていった。いってらっしゃいと見送ったら今日は教室のない日である。さて油彩の続きを描こうと1時間ほどやったところで完成にした。

今から温泉に行こうと思った。車で北に20分ほど走ったところで山に入る。その森に日帰り温泉「あらたまの湯」はある。入浴客は案外少なかった。トロッとした湯で肌がすべすべになる。

屋外にある源泉に浸り、フーッと息を吐いてあたりを眺めると新緑がまぶしい。湯からあがり、腰に手をあてコーヒー牛乳を飲む。外に出ると火照った体に風が気持いい。薄曇りの散歩日和だ。

更に奥の浜北森林公園に向かった。車で5分ほどで第五駐車場というところに出た。車を置いて細い山道を歩くと鶯の声が聞こえる。どうも山道は網の目のようにあるらしい。

クリ、ケヤキ、シイ、カシなどの新緑が道に木陰をつくってくれている。しばらく歩くと池に出た。鏡のような水面だ。ときどき魚が跳ねる音がする。水辺にはアヤメの群生が涼しげだ

この池には見覚えがある。子供の頃、親父に連れられ松茸狩りに来た時みた池だ。この辺りにはアカマツが多く昔は松茸が大量に採れた。親父が松茸を採ってる間、私は池に小石を投げ波紋を見ていた記憶が甦った。

小道を歩くとカタバミの黄、クチナシの白、ツツジの赤、アザミの紫、スズランやホタルブクロの小さな白が楽しませてくれる。マロニエもクリーム色の花をつけた。

かすかにせせらぎが聞こえてきた。湧水が小川をつくっているのだ。気持ちのいい音に小川でしばらく佇んだ。そのうちにキャンプ場に出た。その先にはイベント広場もあって、こんなに広かったんだと驚いた。森林公園は細い山道ばかりなのでどの辺りにいるのか迷って戻る道がわからなくなった。

迷う感覚って好きだなあと思いながら歩いているとアザミが群れている道に出た。見覚えがある。この道を戻れば駐車場に出るはずだ。1時間半ほど歩いて駐車場に戻った。

松籟、鳥の声、せせらぎの音、草の匂いを感じながら、のんびりとした一日を過ごした。

気まぐれアトリエ日記(797)・・・降り残してや

初盆が近づいたのでImg_0644縁側にある机を撤去することにした。以前アトリエに置いてあったものを18年前教室に仕立て直した際、縁側に出した。抽斗の中や棚は、もはや書類の山となっている。

盆の客は庭から縁側の焼香台に手を合わせるから片付けるしかない。この際、書類は出来るだけ捨てることにした。収納する場所があるとモノはそこに溜まってしまうのだ。2台の机に溜まった書類は絵画教室18年の歴史である。教室の足跡はゴミ袋4杯分あった。

書類の中からこんなものを見つけた。平成24年浜松美術協会総会のあと行動美術会員の藤田恭弘先生による講演をお願いした。その時の原稿が出てきたのだ。

私は協会の世話役で忙しく、じっくり聴くひまがなかった。普段はおっとりと穏やかな先生だが原稿には熱い想いが溢れている。長文なので、その断片だけでも記しておきたいと思った。

・芭蕉は奥の細道で金色堂を詠んだ。「五月雨の年々降って五百度」これでは説明に過ぎず推敲の末「五月雨の降り残してや光堂」「降り残してや」という理屈にあわない言葉によって感動をカタチにしてみせたのだ。絵は予定調和ではなく、奇跡によってしか仕上がらない。芸術とは感動にカタチを与えることである。

・昭和32年に美術教員になったが学生時代、井嶋勉先生の言葉が心に残っている。「美術教育は本来的な生の自覚である。ひとつしかない命を自覚させるのが美術教育の目的である」と云った。

・美は一般的にはきれいとか美しいとか云われるが「美の本質は命の真実を求めること」という方が適切であろう。

・芸術に必要なものは愛と孤独である。

・ドイツの哲学者カントは「抽象なき視覚は盲目であり、視覚なき抽象は虚無である」と云っている。創造にあたってはまずそのことを念頭に置きたい。

・話というのは話し手が半分、聴き手が半分で成り立っている。「私ならこう考える」というきっかけにいていただけたらと願っている。

長文の行間からは絵への想いが滲み出ているのだが、ほんの一部のみを記録してみた。それにしても書類を処分するというのはエネルギーのいる作業だとつくづく思った。


2017年5月21日 (日)

気まぐれアトリエ日記(796)・・・フォトブック

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日本美術家連盟の会報に「深刻な問題・いずれ作品をどうするか」という特集が載っていた。いずれ作品をどう処分するかという問題である。

美術館などで保管される作品は稀で、大多数の作品は残らない。一生かけて創った膨大な心の軌跡は消えてしまう運命にあるというのだ。

一品物の美術作品は残らない。一番ハードなものは書物だといわれている。分散するからである。テレビで家の整理術を見ていたら、懐かしいものを捨てる時には写真を撮って残すと捨てやすいと云っていた。成程、しかし画集を作るとなるとかなりの金額だし、何百部も作ったら在庫の山になる。第一保管する場所がない。

先日ショッピングセンター市野イオンを散歩していたら写真店に「おすすめフォトブック」のポップ看板があった。若い子らがパソコンの前でページのレイアウトをしている。

私は店員に訊いてきた。「画面のフォトブックをクリックすれば自分の好きなレイアウトに誘導してくれるの?」「はい、レイアウトマニュアルがありますのでお好みに従がっていけば出来ます。わからないところがあったら私がついていますので」とのことだった。

なるほど、これなら単品制作でも複数制作でも融通がきく。A4版32ページくらいがいい。単価も数千円である。来年2月に浜松駅近くのマインシュロスギャラリーで個展を予定しているので、その時までに制作して受付に少し置いておこうか。

それまでにはまだ時間があるから物置に保管してある100号、130号、150号の油彩数十点をデジカメで撮影プリントしてレイアウトも考えてみたい。今年下半期のライフワークにしよう。

O先生は大きな作品を天竜川の河川敷に運んでキャンプファイヤーみたいに積み上げて火をつけたと云っていた。大きな作品は貰い手もない。それも男のロマンか。

画集として記録に残すことが出来れば、いずれ処分しなくてはいけない「深刻な問題」も、少しは納得して受け入れることが出来るかも知れないなと思った。

2017年5月20日 (土)

気まぐれアトリエ日記(795)・・・着こなし

この頃散歩していなかったImg_0632ので少しお腹が出てきた。油断大敵。鴨江教室の休憩時間を利用して浜松駅前の遠鉄百貨店で開かれている「特選絵画展」を散歩を兼ねて観に行った。

秋野不矩美術館でのグループ展に出品している栗原さんの作品もみてみようと思ったこともある。香月泰男、中川一政、片岡球子、棟方志功、横山大観、上村松園などそうそうたる面々数10名の作品が並んでいた。

そのような作家達だからといっても中には技術が目立ち心が感じられない作品もあった。上記の作家には、なるほどと納得させられるセールスポイントが随所に見られた。

値段は数百万するものが多いのだが何点かは売れていた。辛口で云わせてもらえれば手慣れた平凡な作品が売れている。こういう絵は飾ってもあたりさわりがない。世の中には金持ちがいるもんだと妙に感心した。

名前に関わらず魅力的な作品は何故面白いのか考察しながらみて歩いた。そうだ、ファッションのように鑑賞してみるとなにかが見えてくるなと思った。

大胆で独自な視点、構図は服に例えればカッティングのよさである。余分なフリルやアクセサリーをいっぱい付けなくてもいい。美しいシルエットが浮かび上がることが大事だ。

絵もファッションも共通項はシンプルな方が目をひくということだ。練りあげた工夫なくしてシンプルはありえない。また、服が目立つようでは何かが足りない。目に見えないところの工夫の問題である。

顔、腕、足などの肌の色を引き立てる配色とバランス。服は脇役、人が主役なのだ。それが着こなしというものだろう。絵だって技術だけが目だってはいけない。主役は工夫する心、技術は脇役。

私ならさてどうするか。雑踏の中を歩きながら考えた。語らないところに含みがあること。奔放であること。無雑作、素朴であること。子供のようにこだわりがないこと。

頭の中には、いっぱい駆け巡っているんだけど、いざ描くと逃げていくんだなあ。5月の爽やかな風に吹かれながら次の教室に間に合うようにまた来た道を戻った。

2017年5月17日 (水)

気まぐれアトリエ日記(794)・・・浦島太郎

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鴨江教室に通っていたKちゃんは骨折で3か月ほど休んでいた。卒業させてくださいと教室を訪れたのは3月のことだ。頑張ろうよと引き留めたが決意は固いらしく5月に入って電話があり、先日手紙が届いた。

緑したたる素敵な季節になりました。この5月からやっと決心してアトリエYOUとお別れしようと思います。14年余り、手をとるようにご指導していただき、私の力以上の作品を数多く制作することができ本当にありがとうございました。

退職後こんなに夢多い日々を送ることができて幸せでした。楽しすぎてあっという間に年齢を重ねて、最近特に体力、気力、視力が少しずつ衰えてきました。これからは猫と共にゆっくりしようと思います。

やさしい先生は一生忘れません。教室の皆様にどうぞよろしくお伝えください。先生、奥様共にお体に気をつけてアトリエYOUのご発展をお祈り申し上げます。重ねて、重ねてありがとうございました。

鴨江は坂の町だ。浜松の中心街から西へ2キロほどのところにある。Kちゃんの家は通称「地獄坂」と呼んでいる鴨江の急な坂を登り切った青い屋根の洋館だ。猫と暮らしていて油絵にもよく猫が登場した。小学生の時、浜松市街の空襲に遭い火の海を逃げ回り、やっと弟を見つけ出して抱き合った話は今でも忘れられない。

ご主人は画家で木彫もした。Kちゃんにと彫ってくれた椿のブローチをよくしていた。シャンソンの会に入っていて、ご主人が亡くなった直後の発表会ではアダモの「雪は降る」を歌って途中で泣いてしまったこともあった。

クリエート浜松での教室展と同じ時期、同じ会場でシャンソンのコンサートを開いたことがあった。教室展最終日「先生、私の出番の直前に連絡するから聴きにきてね」仲間が呼びに来てホールの最前列に通され座った。Kちゃん一曲で立ち上がるわけにもいかず、しかし教室展に来てくれる人のことも気になり、数曲聴いてコソコソ背中をまるめて退散したこともあった。

Kちゃんの手紙には次のように返信した。

Kちゃん長い間教室に通ってくれてありがとう。小首を傾げて微笑む乙女チックなKちゃんのことは忘れません。もう14年も経ったなんて、まるで浦島太郎のような気分です。いつも笑い声が絶えなかった教室からKちゃんが去る日がくるとは。

本当に楽しい日々だったと改めて思います。絵は自宅でも描けますよ。また描いた絵を持って教室に遊びに来てください。これからも元気に過ごしてください。本当にありがとうございました。

2017年5月14日 (日)

気まぐれアトリエ日記(793)・・・ちょっと待ってね

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今月のオープン教室は島田のギャラリーで山本晶司展をみて、お昼からは掛川城周辺でスケッチすることにした。私を含め男性4名が車を出し18名が分乗し半田教室を出発。

ギャラリーには山本先生ご夫妻が待っていてくれ参加者には素描のプレゼントが。私も「艶本紀行・東海道五十三次」なる珍本をいただいた。今回の個展は明るい色調で抽象化がすすんだ感じであった。小品に佳作が多く、生徒の何人かが買い求めた。

お昼すぎには掛川城に到着。逆川沿いの画家Aさんを生徒のNさんと訪ねた。電話をかけると、ちょっと待ってねとの返事。化粧する時間がほしいという。Aさんのお嬢さんは私のデザイナー時代の後輩である。

「お茶でもどう?」と云ってくれたが生徒を待たせているし、スケッチもしたいので早々に辞した。蕎麦屋で昼食のあと、お城を見上げて1枚スケッチ。薄曇りの爽やかな日だった。2枚目は二之丸美術館付近に。Nさんの友人のSさん、Yさんも参加しスケッチしている。鷲津のHさんも電車でスケッチに参加した。

お城の門のような建物を借りてスケッチ鑑賞会。Iさんは「お城は描きにくい」と云いながら描いていたが結構迫力のあるスケッチになっていた。30分ほどコメントしながらの鑑賞会は和気藹々で楽しかった。

帰って先生から預かった参加者に渡す素描を開けると次のような手紙が入っていた。

〈美術雑誌の記事より抜粋〉 ・東洋の芸術は稚気ではあるが精神的に発達した。西洋は技術は素晴らしいが何かが足りない。・目から感じ、それを表現していた時代は去った。これからは精神を剥き出しにした表現でなければならない。・今まで地上物件を借りて表現されていたものを否定、画面上で自己を語ることに専念・・・

更に「詫び状一筆」なるものには 遠路、小生の作品をみに来てくださったことを感謝します、ありがとう。企画展ともなりますと忖度も多少あり恥ずかしいの一語につきます。小生の友人、知人の中には抽象表現の解からぬ人もいて、何かと不都合が重なり作品に出てしまったことを平にご容赦ください。

先生のおっしゃりたいことは私にも覚えがあり、よくわかります。制作に対する厳しい姿勢と、気配りする謙虚なお人柄が行間に垣間見えます。しかし渾身の個展には心から感動したし、観てよかったと思いました。

2017年5月11日 (木)

気まぐれアトリエ日記(792)・・・なーんだ?

Sさんは植物の種子Img_0029や蔓などをモチーフに油絵を描いている。ここ数年、次第に抽象性を帯びた世界を表現しだした。メモ紙に鉛筆でプランを沢山出す。更にモチーフを省略変形し、造形をすすめていく。配色はツートンを基本にマチエールも工夫する。

最近、50号の作品に面白い線を見つけた。細い線が縦横無尽に飛び交っている。あきらかに筆の線ではない。「この線何で描いた?」「ペンキをスプーンに乗せ、垂らしてみた」と云った。私もパクって試してみたくなりホームセンターへ出掛けた。

そのメーカーのペンキは沢山の種類があって特定できなかったが、とにかく買ってみた。これでいっぱい落書きしてみよう。いきなりキャンバスより安い画用紙がいい。これもついでに買っていこう。

割り箸をボキッと折ってペンキの缶にたっぷり浸けたものを上から垂らしてみると糸をひいて落ちる。これは面白い。

その落書きをフェイスブックにアップした。私「なんか面白い画材ないかなーとホームセンターで見つけたもので描きました。(※ホントは偶然に見つけたのではないのだが)なーんだ?こたえ 割り箸とペンキです」

Sさん「インクや墨汁とはまた違った味ですね。温かみのある線になってる感じ」私「トロッとしたペンキをボキッと折った割り箸にたっぷりつけて空中から垂らしています。線は思うところにひけません。線の味わいを楽しもうと思って」

Sさん「空中から!う~む 思いがけない線と形が出現するってことですね。オモシロソーです」私「他力を使っちゃおうってわけ。陶芸家が釉薬と炎で器の風合いを試みるのと同じ。農家が美味しいお米を作ろうとするのもそう。水と太陽と品種の因子が美味しいお米を作ってます。農家はお世話をしているだけです。どうしたら美味しいお米が実るか工夫するのは自分です」

Sさん「なるほど、お米ですね。自分が頑張って描いたぞーという絵は窮屈に感じるのはそれですね。他の何かが関わる余裕とか?余白とか?創るってそういう交信なんですね」私「そうだと思います。大きく構える余裕かな?山本晶司先生は、いい絵を描くより大事なことは、絵を描くことを通して心を大きく豊かにすることだ。絵はそのためにあるって云ってました」

うまく描くことにキュウキュウとせず、常識的でない画材を使って、常識に縛られないカタチを生み出し楽しめたらなーと思っている。

2017年5月 8日 (月)

気まぐれアトリエ日記(791)・・・吹っ切れた

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私のホームページに教室展作品128点を掲載した。メカに弱い私は、なんとかかんとか頑張り夜遅くまでかかって完成させた。アトリエYOU小杉→合同作品展→生徒作品集 で是非ご覧いただければと思います。

作品を入力していると友人からメールが入った。「静岡のギャラリーで掛井五郎展をやってるけど7日に観にいかない?」その日は予定が入っていないので出掛けることにした。

ギャラリーは青葉通りにあるらしい。文字通り街路樹の緑がまぶしい季節だ。その通りの一角にギャラリー濱村はあった。鉄の彫刻と絵画が展示してある。

入ったとたんワアーっと思った。常識を覆すような無骨で面白いカタチの彫刻たち。子供の落書きのように自由でためらいのない線が美しく飛び交う絵画。表現にセンスは大事だが、もっと大切なものは新鮮な驚きとヒューマンなあたたかさだなあと改めて感じた。

うまく描こうとすると想定内で収まってしまうが、自分の思うようにやりたい放題やれば生命力は爆発する。掛井の作品には自由に表現するよろこびが溢れている。

島田の山本晶司先生はギャラリートークで「自分の気に入っているところをまず潰せ」と云っていたが、そうすればもう怖いものなし。そこから新しいなにかが生まれると云いたかったのだと思う。

一昨年の教室展の時にも山本先生は私の絵をみて「掛井五郎に似た世界だね」と云った。私は掛井五郎の作品をまだみたことがなかったので今回の個展は興味があった。拝見して納得した。両先生には僭越だが、私とはウマがあう。

山本先生が「絵はヘタでいい」と云った言葉が説得力をもって心に響いた。カラを破って思い切り絵を楽しもう。人の顔色など気にせず「今の自分」をワクワクしながら実感したい。

私のなかでモヤモヤしていた感覚が吹っ切れた感じがする。心はもう爆発しそうに弾んだ。帰りの車から見る景色は行きよりずっとイキイキして見えた。

2017年5月 6日 (土)

気まぐれアトリエ日記(790)・・・ささやかな日常

5月の連休はゆっくりしよImg_7209うと思っていたが、絵の制作とブログのプリントに終始した。私のブログはスマホやパソコンで見てくれる人ばかりではない。パソコン等を使わない人達から「アトリエ指導・ろ・もどろ」の続編を読みたいという要望はあるのだが、なかなか纏める時間がなかった。

最初の本は250ページで一冊にしたのだが、800話となると続編がもう2冊出来ることになる。本にするといいのだが、なにせかなりの高額になるので簡単には出せない。「続 アトリエ指導・ろ・もどろ」はパソコンからプリント、コピー製本で3冊つくり希望者には回覧した。

いつ頃からプリントしてないか調べたら去年の1月からだった。一昨年の大晦日にオフクロが圧迫骨折で入院し、その後介護施設でリハビリ。退院してからしばらくして食欲がなくなり末期がんとのこと。自宅では手に負えず再度施設でみてもらうことにした。2か月後に死去、葬儀。

考えてみればブログをプリントする余裕などなかったわけだ。580話から790話まで200枚あまり、やすみやすみプリントして3日かかった。

プリントしながら拾い読みしてみた。いろいろな時もあったはずだが吹き出すような話や可笑しなことを書いている。自分のことは弱虫だと思っているけど、どうしてどうして結構踏ん張ってるじゃないかと我ながら思った。この一連の出来事は誰もが経験することなので、冷静な対応が求められるとその時思った。

読みながら、高見順の小説「いやなかんじ」を思い起こした。戦時中の話にも関わらず、今の我々と同じようにささやかな日常には可笑しみや笑いがいっぱい詰まっている。置かれた状況と心の在り様は必ずしも一致しないのが人間という生き物なんだ。

このプリントをコピー製本するにはまだまだ時間がかかる。「続々アトリエ指導・ろ・もどろ」用200枚のプリントを手にとると一言では語れない複雑な重さがした。


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