2019年2月16日 (土)

気まぐれアトリエ日記(1042)・・・苦手

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3月4月には展覧会が詰まっていて準備作業に追われることになる。私はマネジメントが苦手で、この時期は一年で一番大変だ。生徒達は手分けで準備手伝うからと云ってくれるのだが8クラスをまとめていくのは私しかない。
全部を一度に考えると押しつぶされそうになるから、書き出してひとつひとつ片付けていくつもりでいる。

ユトリロ展(アトリエYOU鴨江教室・井上盛93才卒業記念展) 3月11日~20日 ホテルコンコルド浜松オープンギャラリー 10日18時搬入展示 20日18時搬出 2月中旬案内葉書郵送 看板、ネームカード作成 17日正午から30分ずつ3回、井上さんの長男でジャズフルーティスト信平さんのミニコンサート。

現代美術展2019(15名によるグループ展) 3月19日~24日 秋野不矩美術館2Fギャラリー 3月初旬案内状郵送 18日13時から搬入展示 24日14時からギャラリートーク 24日16時搬出。

尾崎放哉との対峙展(11名によるグループ展) 3月31日~4月6日 銀座3丁目ゆう画廊 3月中旬案内葉書郵送 24日作品送付 31日上京。昨年は小豆島で開催した展覧会。

第19回アトリエYOU・杉友会作品展 4月15日~21日 2月中旬画材店にトラック作品積み込み予約 浜松美術協会・新聞社後援依頼 作業分担表・作品名記入表・受付分担表作成 打ち上げパーティ会場予約 3月中旬案内葉書郵送 クリエート浜松会場費精算 展示当日参加者弁当手配 3月下旬ネームカード 作品配置図作成 4月1日次年度会場申し込み 看板・備品準備 4月上旬半田教室にて作品保管 4月13日画材店トラックに作品積み込み 15日午前展示 午後山本昌司先生のギャラリートーク 21日16時片付け 17時30分打ち上げパーティ 22日画材店トラックから半田教室へ作品降ろす。

浜松美術協会展 4月23日~5月5日 22日搬入展示。

私がうっかり忘れると準備が滞ってしまう。苦手だなどといっていられない。準備をしながら、まずは作品を描かなくてはいけない。さあ頑張ろう!  

2019年2月13日 (水)

気まぐれアトリエ日記(1041)・・・おらおらで

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若竹千佐子著「おらおらで ひとりいぐも」の表題は、宮沢賢治「永訣の朝」の中で幼い妹が亡くなる時に呟いたひとことを引用している。命の終着点はいずれ来るんだなあと実感を持つと誰もが心細さや寂しさを覚え、そんな気持ちを抱きながら日々生きていると思うのだが。

小説は夫を失ってから、ひとり生きる悲しみが語られているが、何故かほんわかした温かみが流れている。まるで孤独を楽しんでいるかのようだ。どうしても書かずにいられなかったんだろうなと思う。若竹さんはこんなことを語っている。

人の心は一筋縄ではいかねのす。人の心には何層にもわたる層があって生まれたでのあかんぼの目で見えでるおらの層と、後から生きたがために採用したあれこれのおらの層。

教えてもらったどいうか教え込まされたどいうか、こうせねばなんね、ああでなければわがんねという常識だのかんだの、自分で選んだと見せかけて選ばれてしまった世知だとか堆積して分厚く重なった層があるわけで、つまりは地球にあるプレートどいうものはおらの心にもあるのでがすな。

あなたにはわだすがついているから大丈夫。あなたとわだすは最期まで一緒にいるので。あー、そのようなことをいうあなたは誰でがすか。わだすならあなた、あなたならわだすでがす。

小説は映像やストーリーがなくても主人公のアタマの中で考えたことを紡いでいけば成立する。これは小説にしか出来ないことだ。絵も小説と同じようにアタマの中で工夫したことを描けば、それが空想だとしても、それこそ絵画におけるリアリティというものだろう。

アタマの中での呟きは、いつも同じとはかぎらない。移ろいやすいからこその心のリアリティだともいえる。文芸評論家の中村光夫は、文学は老年の事業であるといっているが、限りある命だと自覚し向き合うようになってからが純粋に自分の表現との対話が始まる気がする。

今日が人生最後の一日だと思って生きろという文章を読んだことがある。命と向き合うとはそういうことだと思う。

2019年2月10日 (日)

気まぐれアトリエ日記(1040)・・・NAU展

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国立新美術館で始まったNAU展については浜松のMさん、川越のKさん、掛川のSさん等からメールで感想があった。公募をしているが、それ以外に個展などでの推薦作品が展示されている。

私の作品も展示されているので、どんな様子なのか10日に出掛けることにした。東京に住む姪からも観に行くとメールがあったので、カミさんも久しぶりに会いたいからと一緒に行くことになった。

美術館に着くとお昼になり3階のポールボキューズでランチをした。 いつも行動展初日ギャラリートーク前には地下の食堂でカレーライスをせわしなくかっこむだけで、ゆっくりランチをするのは初めてだった。

ランチを済ませて歩き出すと等迦会展をやっていた。秋野不矩美術館での現代美術展世話役をしているSさんが来ているかも知れない。会場に入ると受付には浜松出品者のTさんNさんが座っていた。Sさんは会の世話に追われている様子だった。

「NAU展を先に観てから戻ってきます」とSさんに云うと「そうそう、現代美術展のパンフレットが出来たから、取り敢えず2部持っていく?」A3版二つ折り、15名の作品が載ったものになっていた。

NAU展会場に行く途中で行動美術前事務所のYさんと会った。「小杉さんに案内葉書もらったから来たんだ」と云った。「ありがとう、今度は3月の銀座ゆう画廊、尾崎放哉との対峙展に出掛けてくるからよろしく」と話しているとMさんに出会った。

Mさんはいつも私の教室展に天竜川の山奥の方からオートバイで来てくれる人で森林組合に勤めていると云っていた。「今日はオートバイじゃないよね」「まさかー、新幹線ですよ。一泊して異端の画家展巡りして帰ります」といくつか名前を挙げた。

新城のTさんにも出会った。「ここは公募展とは違った雰囲気ですねー」絵画、彫刻、書など自由な作品群である。まだ見たことのない作家ばかりで刺激的。日曜日とあって会場はごった返していた。

行動美術のIさんの弟Sさんの作品もあった。前に雑誌でみた時と作風がガラリと変わっている。金属板に蝉のカタチを腐食させたような作品で新鮮だった。「常に表現を揺り動かすように心掛けてはいるんですけどねー」とのことだった。

等迦会に戻ると浜松出品者のTさん、Iさん、Oさん、Sさんなどと一緒になりそれぞれの作品の前でいろんな話で盛り上がった。1階では新槐樹社展をやっていたので、受付で「松井クンの展示はどこですか」と訊いたら、今年は不出品とのこと。夏に体調を毀した影響なのだろうか、観ずに美術館をあとにした。

それにしても思いがけず大勢の人に出会った一日だった。

2019年2月 9日 (土)

気まぐれアトリエ日記(1039)・・・阿波踊り

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YOUTUBUで対談を聴いていた。漫画家西原理恵子の破天荒な半生に大笑いしていたら、その後阿波踊りが入ってきた。遠くから踊りが近づいてくる。そんなに動いていないのに美しい。
内股で腰をひねり下駄のつま先でリズムをとっている。

それから夜の練習風景に変わった。商店街のアーケードを使っての特訓だ。Tシャツに短パン姿で、みんなまだ中学生か高校生の女子である。

指導する女性が指示を出している。前屈姿勢で膝を曲げイチニーイチニーと、これだけを繰り返している。これを体にたたみ込ませているんだなあ。そのあと、その姿勢で歩き出す。腰を思い切りひねり、つま先立ちで調子をとり右手右足を同時に出す。

笛や鐘に合わせて「阿波の踊りはやめられぬヤットサーヤットサー」と黄色い声がアーケードに響き渡る。日本舞踊のような上品さではなく、どじょうすくいのようにおどけたユーモラスさだ。私は上品な絵より少しズッコケた絵が好きなので阿波踊りは波長が合う。

見ているだけじゃつまらない。同じアホなら踊らにゃソンソン、踊ってみたくなった。誰もいないから恥ずかしくない。鏡に映した姿はブザマだった。しゃくにさわるので再度動画を見てみた。

なるほど、下半身の屈伸から入って内股で腰をひねり前進、それに手をつけてみる。だんだんカタチになってきた。昔ディスコが流行っていた頃に仲間でスナックに入りそのうちに踊りだした。私は見よう見まねでひとり研究をしていたら、うしろで知り合いの女性にそれを見られた。その時はすごく恥ずかしかった。

テレビを見ながら踊っていたら、いつの間にかカミさんが入ってきて「なにしてるの?」と訝し気な顔でシゲシゲと私を見た。まだボケたわけじゃないよ。「変わってる人だと思っていたけど、やっぱりヘンな人なんだ」とあきれ顔された。

単純な踊りだが体の内側から熱くなってくる。ダイエットにいいかもしれない。来客があった時、無意識に踊りながら出て行かないように気をつけなくては。

朝起きたら太ももや腰が筋肉痛になっていた。やっぱり運動不足だ。そのあと油絵で阿波踊りの絵を一枚描いた。

2019年2月 7日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1038)・・・誕生日祝い

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今日は午後から都田教室がある。支度をしていたら玄関のチャイムが鳴った。我が家から歩いて数分のところに住んでいる生徒のNさんが立っていた。「教室展の作品と作品名を届けにきました」と云った。
持参した作品はベニヤ板に蝉が半抽象状態にコラージュしてあった。Nさんは事情で教室はお休みしている。

「きのうは先生のお誕生日でしたよねえ。毎年お祝いしてきましたから今年もピアノを弾かせてもらいます」私は都田教室に出掛けるので、教室展の案内葉書や展覧会費の集金表、先日開催した都田協働センターまつりの返却作品を積み込む準備をしていた。

「来週の火曜日にみんなの前で弾いてもらえれば・・・」と云うと「みなさんに聴いてもらうのなんておこがましいわ。先生に聴いてもらえればそれでいいんです」というので2階で用事をしていたカミさんにも聴いてもらうように急いで事情を話した。Nさんはちょっと浮世離れしたお嬢様育ちなのだ。

ピアノの横には暮れに買って、やっと置く場所を見つけた中古のカラーコピー機があり、そのためにピアノの前にはテーブルや花瓶などが所せましと詰め込んである。慌てて片付けピアノを弾く椅子を用意した。

「じゃあ月光の第三楽章弾くわね。宇野昌磨クンが滑っていた曲よ」部屋中に突如ベートーベンが鳴り響いた。私は用事を後回しにして聴いた。ピアノの先生だから我が家の何年も調律してないピアノでも素晴らしい演奏だったが「今のはイマイチ納得出来なかったからもう一度弾くわね」と云ってやり直した。

弾き終わって拍手をしていたら「もうひとつお話があるの」と云う。暮れに相談をうけた自治会世話役のことだった。独り暮らしだし不安だからお断りしたいけど、もし断った場合絵のお教室に通っていたらご近所の手前があるから、その時は一年間お休みしたいというものだった。

「結局、お断りできずに、お引き受けすることになったの」私は「今から取り越し苦労することないよ。わからないことがあったらサポートしてあげるから大丈夫。そんなことでご近所に気兼ねして小さくなって生きることなんかないんだから」

ひとしきり話したら人心地がついたらしく「先生にきいてもらったら気持ちが楽になったわ」と云って帰っていった。私はバタバタと支度をして都田教室に向かった。

2019年2月 4日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1037)・・・美術展審査考

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昨日、生徒のHさんから電話があった。少し戸惑ったような声で「K市の美術展で市長賞貰いました」「もう3回目じゃないの?」「そうなります」

Hさんは油彩で風景を描いているが描き始めが一番面白い。「そこでとめたら?」と私は思わず云ってしまうが、終れるはずもなく「まだこれからじゃないですか」と云いながら描き進める。

最後に無造作、不愛想なタッチで骨太な構成にして終了とする。筆の動きに責任があり気迫が宿った絵になる。教室で描いていた船溜まりの絵だそうで、それにしても3回も最高賞をとるとは珍しい。

昔、他の教室から移ってきた生徒は、完成度が高い絵で自信をもって出品したが落選した。その時「どうして落ちたんだろう。もっと下手な絵が入っていたのに」と云ったが、これを説明してもすぐには無理だと思った。絵とは完成度が高けりゃ評価がいいというほど甘いものじゃないことを本人が気づく以外にテはない。

昔の川柳に「リアルだが なんだか面白味の ない絵」というのがあった。リアルをけなしているのではない。上手だが自分が出ていないのだ。オリジナリティはそれぞれの問題なので教えることなど出来ない。工夫をしながら描いているうちに必ず滲み出る。その後押しをするだけだ。

会計士をしているNさんは素朴なタッチの油彩をボチボチと楽しみながら描いている。子供の頃、自転車に従妹を乗せている絵だ。母親がうしろで見ている。ノスタルジックでNさんの人柄が出ていて市展に入選した。

金属加工の会社を経営しているSさんは油彩で風景画を描いている。ちょっとなおしてみなと云うから、部分に拘りすぎているところを、ざっくりと色面構築してやったら「先生ってなんだねー、オレが折角細かく描いたところをこんなに潰しちゃってー。オレの才能の芽を摘むんだからなーこの人はー!」私は「中小企業のオヤジのくせに抽象感覚がまるでねーんだから」とやりかえす。その後「オレは絵が好きというより、この教室が面白くて来てるだけ」と云った。

昔、市展で落ちた生徒に「落ち込むことはないよ。入選したからこれでいいってことはないんだから」と話したら後日、それを隣りで聞いていた入選の生徒から電話があって教室をやめるという。入選した人をバカにしたからというものだった。落選した生徒を元気づけるために話していただけなので、なだめる気にもならず「よくわかった。じゃあ元気で頑張ってね」と云って電話を切ってしまった。

2019年2月 1日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1036)・・・パンク俳人

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前回、尾崎放哉のことを書いたら生徒のAさんが放哉についてのラインを入れてきた。俳句にもこんな鑑賞の仕方、楽しみ方があるのかと思った。
「俳句で爆笑してみよう。放哉俳句のハチャメチャさについて」を以下抜粋してみる。

大学生の頃、学校にほど近い定食屋で友人と食事をしながら尾崎放哉の俳句を読んで笑い転げた。「咳をしても一人」これである。俳句といえば五七五だという常識を大きく覆している。全然足りていない。こいつマジ滅茶苦茶だな、超パンク。パンク俳人だと思った。

放哉はとても味わい深い俳句を詠む。それがどんどん面白くなってきて、僕等は爆笑にいたった。中学生の頃の俳句「よき人の机によりて昼寝かな」この通り、ちゃんと五七五を守っている。好きな女の子の机にもたれかかりながらウトウトするという放課後の様子が目に浮かぶ。

なんだ普通にいい句を作れるじゃないか。なにかに似ているなと思ったらピカソが子供の頃に描いた絵を見た時の感覚だ。ワケのわからないものを作る人の子供の頃の作品は普通にいいというところが共通している。

「今日一日の終わりの鐘をききつつあるく」八七七で、だいぶオーバーしている。若い頃の放哉は滅茶苦茶、音の数をオーバーする傾向がある。この長い句が変化してくるのが晩年だ。「渚白い足出し」シンプル、三三四。内容はほとんどない。「墓のうらに廻わる」え?これで終わり?という感じ。

放哉のよさはなんといっても悲しさにある。しかし底抜けに悲しいという感じではなく、悲しいのに笑える。「一つの湯呑を置いてむせている」ジジイかよ!40才のときの句なのに。「入れ物が無い両手で受ける」何を!?「こんな大きな石塔の下で死んでいる」誰が!?

「底がぬけた柄杓で水を汲もうとした」なんでそんなことしようとしたんだお前。「よい処へ乞食が来た」そんなことある?「足のうら洗えば白くなる」ここにこめられたメッセージとは何なんだ!?

この可笑しく、もの悲しいもの。そんな放哉の世界は私の制作のtriggerになる。

2019年1月29日 (火)

気まぐれアトリエ日記(1035)・・・タナボタ

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松井クンがFBに美深町史という本をアップしていた。北海道美深町ふるさと検定問題集を作っていて彼のふるさと愛ははんぱない。450問作ったそうで、喉から手が出るほど欲しかった本が地元の長老から送られてきたという。「これがあれば鬼に金棒、もううれしくて第2のバイブルだ!」とコメントがあった。

日曜日の午後、都田協働センターまつりに出した杉友会スケッチ生徒作品を搬出しに行った。作品を車に積み終えると、やきとり屋台の横に本がいっぱい並んでおり「古本無料処分0円」と張り紙がある。

眺めているうちに尾崎放哉句集「大空」が目に留まった。えっ!もってけドロボー状態だ。格調のたかい装丁で、ほしいと思っていた本である。すぐ脇に抱えて、ヤッター!キョロキョロすることはないのだが払わずに持っていくのは、なんとなくヤマシイ気分がする。すぐに古本の片付けも始まって、ちょっと遅かったら私の許には来なかった。

小豆島出身の画家Yさんが呼びかけた「尾崎放哉との対峙展」はここ数年銀座の画廊で開かれていたのだが、昨年は放哉終焉の地小豆島で開催され、私も生徒と一緒に訪れた。

放哉は自由律俳人で、孤独な境遇をありのまま詠んでいる。生徒で読書家のIさんが句集を貸してくれ、それを読んだ時には放哉のよさがよくわからなかった。あまりに素っ気ないのだ。コピーしておいた句を読んでいるうちに少しずつわかってきたことがある。

俳句はアタマでは出来ない。上手さ、巧みさだけでも奥が浅くて飽きてしまう。作者の「わたし」がすっかり消えているような境地のなかに放哉が宿っている。彼の句には凝った表現など微塵もないし、俳味すらない。味わいを出そうという気がなく、捨てきった素っ裸の放哉がいるだけだ。こんな境地で絵が描けたらどんなものができるのだろうか。「放哉との対峙」はおそろしく奥が深いことがわかってきた。

そんな経緯で、この句集はおいでおいで状態で私の許にやってきた。

2019年1月28日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1034)・・・素朴な味わい

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連日テレビで市原悦子さんの追悼番組を放映している。「家政婦はみた」は久しぶりだったが、彼女の個性的な魅力が詰まっていて流石だと思った。海千山千のおばさんが持つ素朴で温かい雰囲気がなんとも可笑しい。

千葉に住んでいる市原悦子さんの妹、園子さんは行動美術協会の会員で、お姉さんとよく似ている。歩いている後ろ姿は瓜二つである。

展覧会場にふたりで居たりするほど仲のいい姉妹であった。「姉とは毎週一緒に食事をしてます」と云っていたから、どんなにかお力落としと思う。

追悼のドキュメント番組では市原悦子さんが子供たちに詩を朗読していた。灰谷健次郎が編集した子供の詩集だった。

〈おかあさんのおっぱい〉 おかあさんが おとうとに おっぱいをあげている おいしそうにごくごくのんで おかあさんは すこしくすぐったいようなかおをしていた あのおっぱいは まえは ぼくのものだった

おおよそそんな内容の詩だったが、弟が出来たうれしさと少しのヤキモチを素朴な気持で書いている。悦子さんの語りが詩を更に引き立てていた。こんな素直な心で絵が描けたらいいなあと思う。頭で作った理論や余分なものなどいらない裸の心だ。

今朝のNHK日曜美術館はメキシコで活動した画家、北川民次を紹介していた。平明な表現で、素朴な人物像は力強く見応えがあった。誰にでもわかる絵だが、独自の感覚で工夫していて誰にも描けない温かみのある反骨の民次が見えてくる。

目に見えたものを心でデフォルメする軋みが面白くて描いているような気がする。具象を描いているのだが、そのあたりに抽象性、象徴性が人間くさく滲んでいて味わい深い。これがおまえらにわかるかとばかりに小難しく尖んがるのは小者がすることだ。本物は具象抽象を問わず心に響く。

北川民次、市原悦子のどちらにも温かい血の通った素朴さがあって、まだまだ遠く及ばぬ境地である。

2019年1月25日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1033)・・・堪能してくれた?

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常設展画廊、玉庵をやっているMさんとは浜松美術協会で一緒に世話役をして旧知の仲だった。一年ほど前にメールがあって「作品を貸してほしい」というので数枚預けた。

昨年秋に展示作家を紹介したパンフレットを作ったというので受け取りに行ったら「1ヵ月間の個展をしてほしい。期間中に観客8名を募ってのギャラリートークを企画している」と云った。1時間半のトークとなっている。

見知らぬ人達の前で、そんなに長い時間どう話せばいいのか。それに年が明けると各種展覧会の準備や世話が詰まって忙殺される日々が待っている。「作品は展示させていただくけどギャラリートークはどうも苦手で・・・」とお断りした。

テレビではジュリーが7000人の観客動員数では不足だとドタキャンしたニュースが流れていた時だった。直接関係のない話ではあるが。暮れにFB友達の松井クンに展示を手伝ってもらった。壁面には0号から20号20数点を額装なしで2段掛けにした。

鴨江教室からは歩いて2分。年が明けてから教室のあとに生徒を連れて出掛けた。午前の生徒のNさんが「これ高くて無理!」と云っている。値段の交渉かと思いきや、高いところにある絵の写真が撮れないと背の高いAさんに撮ってもらっていたのだ。

午後の生徒も同じように抹茶、善哉などのティータイムをしながら雑談。「堪能してくれた?」Tさんは「お抹茶堪能しました!」「そうくると思った。さあ帰るよ」そのあとに行った生徒のFさんに、オーナーのMさんが「お互い云いたいこといって、仲のいいお教室ですねーって云ってたよ」だと。

Oさんが別の教室の水彩仲間と観に行くという。夕方、電話があって「みんな凄いねーって云ってたよ」「どの絵が?」「先生の顔写真見て。今と違ってカッコいいって」何年か前にデザイナー仲間だったAさんの家へ行った時に片光線で撮ってくれたものだ。うーん、まあAさんのカメラの腕がいいということにしておこう。

玉庵展は1月29日30日31日2月1日正午から6時まで根上り松交差点の近くで開催中。玉庵090-4466-0165

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