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2019年7月 7日 (日)

気まぐれアトリエ日記(1100)・・・平凡なものを非凡に

Img_0373 都田教室風景スケッチの生徒は水彩画が主流になっている。持参する道具が軽くて便利だからという理由からだろう。私も最近はアドバイスを兼ねて水彩スケッチをする。描いてみないと描きたい季節感や気分や詩情がわからないことが多いからだ。

勿論、水彩には水彩ならではの爽やかさや味わいの魅力がある。しかし道具立ては簡便だが奥はとても深い。水彩でも造形抽象化を心掛けてきたのだが、画材の性質上思い切った修正や書き直しが出来ない。

私は油彩も描いてきたが、若い時から人物モチーフが中心だった。次第にカタチを歪めるようになり抽象造形に傾いていったが、人物は目鼻、手足といった決まり事からは逃れられない。変形することによるニュアンスや面白さはあるのだが、気がつくと奇怪なものになってしまう場合がある。

そんな時は若い頃多くの示唆を受けた辻先生の言葉を思い出す。「絵をかくことは平凡なものを非凡に表現することだよ」風景にしろ人物にしろ、平凡な日常から感じ取るアンテナが、まだまだ未熟なんだと反省するのだが。

水彩は風景、油彩は人物ということに、なんで拘ってきたんだろう。造形という観点でみれば平面を構築するのに人物も風景も静物も関係ないのだ。風景スケッチを油彩にしてみたらどんなものが出来るだろうかと考えた。

油絵具なら、広いベタ塗り平面でも絵の具の魅力で構築することも出来る。よりシンプル化、象徴化がすすむのではないだろうか。四季の風景は、その空間と対峙することでしか感じようがないが、それをもとに更に省略強調することでどんな表現が出来るんだろうか。

造形化することで心での感じ方を強める。目から入ったものから、感じ方のみを抽出する。絵にしか出来ない作業をする。風景は水彩、人物は油彩などと、無意識のうちに自分を縛っていたものから解き放してあげれば、描くことがもっと自由で楽しくなるかも知れない。

 

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