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2019年7月10日 (水)

気まぐれアトリエ日記(1101)・・・リズム

Img_3497 今年の梅雨は雨ばかりで晴れ間がない。仕方がないので雨があがった束の間の曇り空、近くの小さな川でスケッチしようと出掛けた。コンテの線を引きたくなって腕がムズムズしてきたからだ。コンテの線は私をワクワクさせ、その気分を直截に紙へ伝えてくれる。

生理的な快感の反応だから別に作品として完成させたいわけでもなく、描き散らかしたものでもいっこうに構わなかった。というわけで完成度は低いスケッチだなあと思いながらも、久しぶりにFBにアップしたら折金さんからすぐにコメントが入った。

「いいなあ!このリズム感、色彩、とても心地いいです。こういう文章が書きたい!」先生は毎年、市の文化講座で「夏目漱石論」を展開している人である。そんな先生から、なぐり描きのスケッチを過分にほめていただいて大変恐縮した。最近の折金さんのFB「手製本工房」を見ると「藤枝静雄を学ぶ」として、こんな記事が出ていた。

「創作集〈凶徒津田三蔵〉の著者、藤枝静雄はあとがきでこんな風に書いている。〈ただ私は出来る限り、ものごとをハッキリと描写するつもりである。また、或るリズムをもって音読できないような文章は小説ではないと思っているから、そういうものは書かなかったのである〉

藤枝静雄の私小説に大きな影響を与えたのは志賀直哉であった。志賀のリズム論とは〈偉れた人間の仕事、する事、いふ事、書く事、なんでもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。自分にも同じものが何処かにある。それを目覚めさせる。精神がひきしまる。

かうしてはいられないと思ふ。仕事に対する意思を自身はっきり(或ひは漠然でもいいが)感ずる。この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずさういう作用を人に引き起こす。

いったい何が響いてくるのだろう。芸術上で内容とか形式とかいう事がよく論ぜられるが、その響いてくるものはそんな悠長なものではない。そんなものを超絶したものだ。自分はリズムだと思ふ。

このリズムが弱いものはいくら〈うまく〉出来ていても、いくら偉そうな内容を持ったものでも本当のものとはいえない。小説など読後の感じでははっきりわかる。作者の仕事をしている時の精神のリズムの強弱・・・問題はそれだけだ」

折金さんが私の描き散らかしたスケッチに反応してくれたわけが少しわかった気がした。 

 

 

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