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2019年7月11日 (木)

気まぐれアトリエ日記(1102)・・・風通し

Img_3499 私が20代の頃のデッサン同好会は大勢の若者が集まってきて熱気に溢れていた。絵の話は勿論、人生論、政治の話など口角泡を飛ばすナマイキな連中がいた。時代背景もあって社会の在り方に疑問を持ち、これでいいのかと真剣に議論したものだ。同級生には、その勢いで成田闘争に駆けつけ三里塚に籠城したツワモノもいた。

昨今、若者が集まって世の中を議論しているなんて聞いたことがない。原因のひとつはネットが普及したからだろうと思う。ネット社会は個の社会だ。顔を突き合わせて自分の考えを述べ、また他者の意見を聞き、照らし合わせるなんてことはしない。

世界の為政者が云いたい放題横車を押しても、ネットの前の個ではどうにもならない。権力には多様な考えを束にして圧力をかけなければならない。権力者のすることをウォッチし、監視することは国民として当然のことだ。天下泰平だから、このままでいいかと安易に受け入れてばかりではいけない。

ひとりひとりが違う意見を持つことは、全体主義にならない唯一の対処法だ。若者たちは意見の衝突する人間関係など煩わしいと思っているとしたら、それは間違いだ。みんな納得するひとつの結論に収斂するためにもエネルギーをかけなくてはいけない。選挙も無関心では、なにも改革できない。団塊の世代はもう暴れるには少しトシをとりすぎた。

健全な社会とは風通しのいい社会のことだ。人間関係に適度の距離を置き、多様な意見を云い合い、お互いに反芻してみる。ワンマンなリーダーに嫌われまいと、馴れ合い忖度していてはいずれ腐ってしまう。

現在の一強政党は選挙では国民の17%の支持しかないのに6割以上の議席をとっている。原因は5割ちかくの無関心層が投票に行かないから結果的に、この一強政党を後押しし議席を与えることになってしまっているのだ。そして風通しが悪く緊張感のない、国民の声を無視するごり押し政治を許してしまっている。

多様な意見が受け入れられなかった社会がどんな結末を迎えたか、過去の歴史が示している。101才で亡くなった反骨の新聞記者むのたけじは「この前の大戦は、あれよあれよという間に押し寄せてきたんだよ」と語っていた。

「適度な距離を置く」とは相手の心にズカズカ土足で踏み込まず、慣れ合わず、相手を大事にする距離感のことだ。人間は地位があると勘違いしやすい。まとめ役とはみんなの意見をくみ取り、それぞれの考え方にじっくり耳を傾け、みんなが納得する結論に至るという裏方の 役割なのだ。

そのためには、ただ敵対するのではなくしっかりとした目線でウォッチしなくてはならない。

 

 

 

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