日記・コラム・つぶやき

2020年8月11日 (火)

気まぐれアトリエ日記(1271 )・・・GO TO キャンペーン

Img_1761-2   6月の都田スケッチ教室の時「7月8月は中止にしたらどう?」という意見があった。暑い最中のスケッチはたしかに大変だ。帽子、お茶、日陰、トイレなど、必要な対応はしているつもりではいるが。

「次回集まった時、みんなに訊いて判断しよう」と話をしていたら、近くでそれを聞きかじったCさんは「それだったら半田教室に行く!」都田スケッチ教室を閉じると早合点の勘違いをしたようだ。

この教室の前身は、浜松市のスケッチ講座で講師を務めた「都田の自然を描く」である。10回で終了したが、その後教室として引き継いだものだ。そんな経緯もあり、生徒から会長を選んで世話にあたってもらっていた。

5~6年ほど経った頃、生徒が揃ったところで、やおら会長のSさんが立ちあがり「長いこと続けてきましたが、このへんで解散したいと思います」と宣言した。私はアレっと思ったが「みんなどう思っているのか訊く必要があるから。その意見をまず訊いて、それに従いますよ」と冷静な対応をした。

その時、Cさんは「なんの相談もなしに、そんなこと云い出してひどい!」と涙を浮かべて抗議した。私は「どんな結果になっても、みんなの気持には沿うので、今から一発挙手で決めよう」と提案した。「継続したい」が圧倒的多数で「解散する」は根回しに応じていた3名だけだった。

6月第3週の教室時に7月8月をどうするか意見を訊くと「中断せず続けたい」が大半であった。堪えられない熱さだったら公民館で静物を描くとか方策を考えておくことにした。

打ち合わせの後、久しぶりに仙厳の滝へ行くことにした。Cさんがスケッチしている水辺に行くと「先生、個展の予定はあるの?」と訊くので、ないなーと云うと「私ねー、特別給付金が入ったから先生の油絵、記念に一枚分けてもらおうと思っている」と云った。「じゃあ次の教室の時に5~6枚積んできてくれる。その中から選びたい」

「ところで先生って絵が売れてるの?」「売れないよ。というより売れるつもりで描いてないからなあ」「画家なんでしょ?」「そういえば売ることを考えて描いていなかったよなー。その点ではアマチュア画家だよ」

市の講座からは21年の歳月が流れた。Cさんは、その時から参加している生徒である。「じゃあ、GO TO キャンペーン価格を出すかな」帰ってから物置で汗をかきかき作品の山の中から気に入っている油絵を5~6枚引っ張り出した。

2020年8月 9日 (日)

気まぐれアトリエ日記(1270)・・・終戦記念日

Img_5163-2 今日、井上盛さんから電話があった。「中日新聞の糸井記者が我が家に来てくれ取材を受けました。午前11時から午後2時まで3時間かけて色々訊かれましたよ」「それはお疲れ様でした。さぞ疲れたでしょう」

私が糸井記者と出会ったのは、今年の3月に浜松美術協会総会で講演をしたあとの取材であった。「絵画教室の日々」と題しての講演だったが、興味をもったらしく熱心な取材だった。

記事が掲載された後、絵画教室の日々を本にした「アトリエ指導・ろ・もどろ」を、お礼の手紙に添えて送ったのだが、折り返し中日新聞朝刊の「ひとこと」欄を生徒の皆さんに書いていただけませんかとの依頼があった。

生徒のAさんに原稿を頼んだら、早速糸井記者のプロフィールをどこで調べたのか「彼女はコロラド大学を卒業して中日新聞に入社したばかりの新人さんのようです」とメールがあった。

井上さんにもお願いしたら次のような原稿が届いた。〈初仕事は風邪新薬〉昭和22年、吉祥寺の或る製薬会社の宣伝部に入社した。不妊治療薬で子宝を授かった服用者の悦びの声の「作文」も宣伝部の仕事だと分かってきた。初仕事は風邪新薬の書体制作で名称は「セキチン」咳を鎮める。効力絶大的イメージで婦人薬同様効き目は怪しいが、思い出は懐かしい。

20名ほど掲載されたのだが、井上さんの原稿はまだ載らなかった。掲載も終了となる頃、糸井記者が我が家を訪ねてきた。「井上さんの原稿ですが、製薬会社に迷惑がかからないかと気になったものですから」改めて対面すると糸井記者は化粧気のない聡明な感じの女性だった。その場で井上さんに電話すると「その会社はもうありませんから」との返事だった。

みんな爽やかな文章を書いてくれた中にあって、たしかにこれは朝の紙面にしてはちょっと異色である。井上さんの文章の文学的趣旨を話したついでに、東京大空襲の数少ない生き残りであることや、波乱万丈な生き方や人となりを説明してから「時間のある時に訪ねてみたら」と勧めた。

「展覧会のお知らせなどの取材とは違い、全力でぶつかっていかなければ井上さんの全貌は訊き出せません。これからの糸井さんにとって多くの示唆を受ける人だと思いますから」とつけ加えた。

そのあと、井上さんは新聞の朝刊に相応しい爽やかな文章を再提出したのだが、先の文章の方が人柄があらわれているなあと思った。3時間に及ぶ取材は多分終戦記念日を目前にしての企画であろう。読み応えのある記事となっていることを期待している。

2020年8月 7日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1269)・・・8月6日の空

Img_5236-2 8月6日朝、テレビをつけると75年前のヒロシマ原爆投下時刻8時15分に合わせ、サイレンが響くなか黙祷が始まり、私も一緒に黙祷したあと、窓から広島に繋がっている西の空を眺めた。

若い頃にはあまりに特別な出来事すぎて切実な現実味を帯びることはなかった。歳を重ねるうちに原爆投下は、とんでもない別世界のことではないと思うようになった。75年はそれほど遠い昔のことではないのだ。

どうしてそんな気持になったのか、今日の空をスケッチしたくなった。用事の合い間にスケッチしフェイスブックにアップ、コメントを添えた。

〈私〉 水彩8号・8月6日西の空 しばらくしてコメントがあった。〈折金さん〉 僕は信州の片田舎で空を見上げてトンボを追いかけていたんだ。〈私〉 そうですか、私の住んでいる空と、あの日の空は繋がっている。そんなに遠くない空の下で起きたことなんだなあとあらためて感じ、平凡な空をあの日の身近な出来事と重ねてスケッチしました。

午後は都田スケッチ教室に出掛けたのだが欠席する生徒も多かった。以前、夏のスケッチによく出掛けた都田川上流の仙厳の滝に行ってみた。高さ4メートルの滝は水量もゆたかで、なにも変わっていなかった。

描き終わってから滝のスケッチを並べて鑑賞会をしたが、私も最後に朝方描いたスケッチを置きながら「今日はヒロシマの原爆について切実に感じたから、西の空を描いてみた。なにかを訴えようとしたものじゃなくて、自分が感じたことをスケッチしておこうとした絵日記のようなもんだよ」と話した。

Tさんは「この夏は自分の命について、みんな考えざるをえなくて、なにか身につまされたんじゃないの?」と云った。「こんなに原爆を身近で切実に感じたことはなかった。コロナのことが無意識にあったのかも知れないなあ。そんなところで今日は終わりにしようか」と、蝉しぐれのなか車で山道を下った。

 

 

2020年8月 5日 (水)

気まぐれアトリエ日記(1268)・・・帰省

Img_5230-2 今年はコロナ禍で、お盆の帰省もままならない夏になった。生徒たちも「この閉塞感ってなに!コロナ鬱になりそう」と口々に云いながら教室にやってくる。昔読んだサトウハチロー編「生活の唄」には故郷を思う詩が沢山載っていたことを思い出した。そのいくつかを書き写し、少しばかり帰省気分になれたらと思う。

「墓参り・中野道子」 小さな赤い提灯ふたつ 小さな竹の筒っぽふたつ 小さなまあるい土の山の中で 姑様は眠ってござる 「道つぁ、なすび漬けの塩が足らんなぁや」「そろそろ葉をすぐってやらな あかんな」「明日は晴れるで里芋畑の草取りをしっしゃい」 口うるさかった姑様 「道つぁ、もっと墓参りにかよわなあかんよ」と土の下からどならんのかいの 白い線香のけむりがかすかにゆれて 赤いまあるいほおずきがゆれて その下に小さなまあるい土の山になって 姑様は眠ってござる

「おかあさんへ・岡部五郎」 おかあさん はだしで歩くのはやめてください 歯をみがいてください 食べものにはハエがたからないよう家のなかはよく掃除してください 便所を作ってください 牛小屋でするなんて不潔です たまにはおいしいもの食べてください たまには隣村にある温泉につかってください たまには村芝居をみてください たまには地酒をのんで踊ってください たまには町へ出てください たまには一日何もせず遊んでください 今月も小遣い送ります たまには・・・ちゃんとつかってください

「おやじの箱枕・三宅たか夫」 おやじの一周忌に帰省したら 台所におやじの箱枕が転がっていた 漁に出るときはこいつを小脇にかかえて乗り込んだものだ 小さな抽出しがふたつ ついていて 上の抽出しにはマッチと網針と真鍮の煙管がそのままだ 網をいちばん入れたあと こいつを枕にすぱすぱだったろう 脂じみて箱の角さえまるくなっている いまごろおやじも土の中で背中をまるめているだろう 箱枕の抽出しをあけてにおいを嗅ぐと おやじのにおいがぷんぷんだ

松井クンから私のFBにリンクがあった。「小学1年生の子を持つお母さんからの投稿を見つけた。笑いを届けてくれてありがとう!」算数の問題・おとこのこが5にんいます。おんなのこが9にんいます。どちらがなんにんおおいでしょう。この子の答。しき(9-5=4)こたえ(いぬ)が(4)にん おおい。「お母さん」いぬ、どこから連れてきてん!!返してきなさい!!!

「私」この子きっと犬を飼いたいんだ。不正解って面白い。この子の性格が見える。「松井クン」こういう子を面倒みたい。このような子がやがて日本を支えて明るくしますよってお母さんに云いたい。「私」 絵も正解より不正解の方が面白いよ。

「生活の唄」からもうひとつ。

「電車・たけのこうき」 初夏の国電で窓にしがみついている可愛い子が 駅にとまるたびにたどたどしくうたうように「ヨヨギ」「センダガヤ」とよみあげている ところがそのつぎに「シラナイマチ」といったので 電車の中がすこしばかり涼しくなった

やっぱり子供は天才だ。

2020年8月 3日 (月)

気まぐれアトリエ日記(1267)・・・ユリの花

Img_5229-2  花もない殺風景な庭の隅にひっそりとユリが咲いた。近づいて「オマエいつから咲いていたんだよ!」と声をかけた。いつも忙しがっている私には「毎年咲いていたのに目に入らなかったの?」と云っているかも知れない。コロナ騒動の日々の中でユリを見つけた時は鬱陶しい気分に爽やかな一陣の風が吹いた気がした。

昨年の暮れ個展をした時、Kさんから「いつかユリの絵を描いてほしい」と云われたことを思い出した。昨年、アジサイの水彩スケッチをFBにアップしたらKさんから譲ってほしいと電話があった。

いつも気遣いをしてもらっているので、ユリの水彩スケッチはプレゼントのつもりで描き、それをFBにアップしたらKさんから電話があった。「おぼえていてくれたんですね。FBのユリ素敵です」「プレゼントしますよ」「それはダメ!振込用紙と一緒に額装して送ってください」

ユリも終わりに近づいてきたのでもう2枚スケッチし、私が一番気に入ったものを送るようにしようと思った。

20代の頃、友人らと八ヶ岳山麓でキャンプをした翌朝、冷気のなか散策していたら白いユリの群落を見つけた。それが痛く胸に沁みて、立原道造詩集「ゆふすげびと」をうろ覚えでひとり口ずさんだことがあった。

Iさんから貰った鉢植えのイエライシャンがウッドデッキで白い花をつけた。その名の通り、夜来香は夜になると甘い香りを漂よわせる。夜中に眼が覚めるとウッドデッキでその香りにひと時包まれてみたくなる。小さな坪庭のドウダンツツジはかくれんぼするようにスズランのような白く小さな花をつける。

以前Aさんから貰った水仙の球根を庭の垣根のまわりに植えたら毎年咲いてくれ、その香りはさまざまな過去を呼び起こす。香りと思い出は深く結びついている。私はどうも白く楚々とした花が好きなようだ。

水彩で花をスケッチすることはあまりないので少し戸惑ったが、花の白は水彩紙を塗り残し、空間の藍色に溶け込ませるようにした。白い花を描くことは空間を描くことで、花をきっちり塗り残すと固くなる。花も空間も一体のものだ。絵は「視覚」を通して見たものを「感じた気持」に翻訳するものであろう。

木下利玄の歌に「牡丹花は咲き定まりて静かなり 花の占めたる位置のたしかさ」があるが、花の置かれた「空間意識」を、揺れる自身と対比し深い心象として造形している。自分を造形するとはこういうことなんだろうなあと思ったことがある。

 

 

2020年7月31日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1266)・・・今から描く絵

Img_5206 ポストを見るとNAU展事務局から来年開催のパンフレットと出品票が入っていた。2月に新国立美術館で開催予定だが、果たして開催できるのだろうかと半信半疑でいた。中止になっても制作は続けようと思っていたが、これは本気で準備に入らなければいけない。

今年の副賞としてNAU展ブース壁面14メートルの個展が待っている。M150号2枚、100号2枚、50号6枚程度を制作しなくてはいけない。今年の出品作は20号3枚をつなげたもので、会場で最も小さい作品で目立たなかったから賞はまったく思いがけなかった。

フンドシを締めなおして残り半年頑張らないと。今年の3月頃には過去3~4年の作品を混ぜればと考えていた。一から取り掛かるのではどうも荷が重い気がしたからだ。

その後制作した作品を見て、出来はともかく今年描いた作品を出品しようと思った。何年も前の作品を発表することは過去の自分にしがみついているみたいで、どうも面白くない。「今」の作品でやりたい。

過去の作品の方がマシかも知れないが、それでも「今」にこだわりたい。フェイスブックにアップされている様々な人達の作品は、今表現しているというライブ感がある。魚屋でいえば獲れたてのイキのよさだ。たとえ名画でも評価の定まったものは絵描きにとってはもう過去の作品なのだ。描きたいものは評価の定まらない迷画である。

昔のヒット曲で巡業に廻っている歌手は(ゴメンね)多分、あまりうれしくないだろうなあと気の毒に思う。過去の栄光ではあまり生きている感じがしないよ。それが美意識というもので、過去はもう過去なのだ。

ピカソに、ある人が「今までの作品で、どれが最高のものだと思っていますか」と訊いたら、即座に「そんなこと決まってるじゃないか!今から描く絵だよ」とこたえたそうである。絵描きの正体とはそういうもので「まだみたことのない自分の絵」をみてみたいのだ。

全国にコロナ感染がひろがってしまっている。NAU展が本当に開催できるかは誰にもわからない。明日のことなどわからない不確かな時代である。みんな不確かな明日に向かって今を生きている。

コロナは「命」について身近に考えさせるが「今を生き、明日を生きる」ことを大事にしたいと切実に思わせる。

 

2020年7月28日 (火)

気まぐれアトリエ日記(1265)・・・冷蔵庫の扉

Img_5204-2 蝉しぐれが凄い昼下がりだった。缶ビールを飲もうと冷蔵庫に行ったら、扉のマグネットの絵に気づいた。ピカソのゲルニカだ。どこかの美術館のお土産だろう。今まで感じたことのない強さでビビッとゲルニカは迫ってきた。

こんな叙事詩が描けたらなあと思った。今を生きる自分にとっての問題を絵でメモしておきたい、コロナ騒動で右往左往している自分を描いておきたいと思ったのだ。

ピカソはなんのテクニックも使っていないしマチエールもない。子供にでも描ける絵だが、しかし誰にも描けない。ピカソにしてはじめて造形できたカタチと、明暗による画面構成。その平明な深さは戦争を告発してはいるが、まるで宗教画のようだ。

その時、昔読んだ横尾忠則の文が頭をよぎった。本棚を探して読み返してみたら、以前読んだ時よりも深く胸に沁みるものがあった。少し長くなるが以下その一部を抜き出してみたい。

1980年、ニューヨーク近代美術館で史上最大ともいわれるピカソ展が開催された。このニュースは日本でも話題になっていたが、特に観たいという気はなかった。

ところが、ある人からピカソ展を観に行くツアーがあるので、もしその気なら旅費はスポンサー持ちで、観たあと食事をしながらピカソの感想でもしゃべってくれれば、という実にうまい話がころがりこんできた。

だから、半分は野次馬根性の無責任な観客であった。ところが2000点以上あるといわれたこの展覧会を観終わった時、ぼくはグラフィックデザイナーから画家に転向することを決意させられていた。

この予期せぬ、まるでぼくの意思を無視しているかのような欲求を発信させたその源泉は一体何だったんだろう。合理的な解釈ではどうしても理解できない。というよりも、内なる声に従って画家の道を歩んでいる自分が現にここに存在するからである。

ピカソのような絵が描きたくなって画家に転向したのではない。ピカソのように生きたいと思ってそうなったのである。もし、ピカソのような絵が描きたいという欲求だけなら、別にグラフィックデザイナーであってもいいはずだ。しかしピカソのように生きるならばグラフィックデザイナーをやめなければならない。

ぼくはピカソの作品の中に画家の全人格ともいうべき存在の確かさに触れたのである。デザイナーはそのデザイン作品と無縁に存在することが可能だが、画家は彼の創作と人生を分離することは不可能である。

自己にどれだけ正直になれるか、また忠実になれるかによって獲得する自由の分量が異なる。自由の獲得のためだけにピカソは彼の全生命を賭け、その巨大ともいうべきエゴの解放に、ぼくは圧倒されてしまったのだ。彼の解放されたエゴが、逆にぼくの内在するエゴの扉を開き、ぼくに絵筆を持つ衝動を与えたのだ。

横尾忠則は、彼の内在するエゴの扉をピカソによって開かれたと云っているが、私には冷蔵庫の扉のピカソが語りかけてきたのだった。

 

 

2020年7月26日 (日)

気まぐれアトリエ日記(1264)・・・一気の寄り

Img_5202-2 浜松でも夜の街コロナクラスターが出てしまった。一気に30人ということで、エーっと驚いた。この頃は必要な時以外は外出しなくなった。家に居ると時間の潰しようがなく、絵でも描くかということになる。いやいや、今こそ絵を描く時だぞと前向きに捉えなくてはいけない。

結果的に、今までの人生で一番絵描きらしい生活を送っているのだが。夕方は大相撲を楽しみに観ている。今朝はテレビをつけたらNHK日曜美術館で棟方志功について放映していた。好きな絵描きだ。

一心不乱に板を彫る姿は今までに何度も見たことがあるが、久しぶりに見る体ごとぶつかっていく姿はラグビーのような格闘技に似て胸が熱くなった。ガムシャラに腕を動かせ、自分の表現は後からついてくるような感じだ。音速を超えるジェット機を見るような気持よさ。我に返ったら、そこに自分の痕跡が残っていた。それってアートの醍醐味だよなー。相撲でいえば小技を使わない一気の寄りだ。

顔を板にくっつけて彫っている彼は「ひとり」になりきっている。否、それすら消えている。第三者がどう感じるかなどということも眼中にないだろう。孤独とは我を忘れて夢中になる姿なんだと今回改めて感じさせられた。棟方はこんなことを云っている 。

「下手ということが絵を美しくするんですよね。鉄斎さんなんかはほんとに下手くそで、あんな下手な絵描きはいないと思うぐらい。だけど、ほとばしるものがあるんですよ。絵描きというものは、ほとばしってこなければ本当のものが生まれてこないと思うんですよ」

上手に見せようなどという余計な気持をこえるところから生まれるのが「ほとばしる美しさ」なのだろう。今日テレビを見て、棟方が板を彫る時のスピードは、頭で考える隙を与えないためなんだと感じた。

この「一気呵成」こそが絵に命を吹き込んでいるのだ。油絵は何回でも塗り重ねが出来るし重厚になるが、水墨画や版画を彫る時は一発勝負の気迫である。油絵でも、この「気迫で一気に」の心構えが大事だ。

大きな絵でも小品のように一気に刷毛で、画面の左から右へ描き切る「線」の勢いが骨太な生気を生むんだなあと思った。オレにはこれほどの気迫はないなあとうなだれながらアトリエで描きかけの50号を眺めた。

2020年7月24日 (金)

気まぐれアトリエ日記(1263)・・・カッコつけた

Img_5195-3 教室スケッチ旅行のバスの中でKさんが、ご主人や自分のことを話していた。ジュリーとご主人とKさんの三角関数?の微妙な間合いは笑わせながらも味わいがあり、これは話芸だなあと思った。ご主人への気遣いもありながら、ジュリーへの愛止み難し。わかるわかる、これぞオトナのトークだと思ったものだ。

そのKさんが以前大量の油絵具が入った重いボックスをヨッコラセと持って教室に現れ「画材店にある絵の具を全種類買ってきた」と云った。毎回持ち運ばなくても教室で預かるからとウッドデッキの隅に置くようにした。

男性生徒のYさんは画材店で油絵具を買った時「こちらはF色ですので1500円になりますけどいいですか?」と云われて「わかってますから」と返事をしてしまった。素人だと思われたくなくてカッコつけてしまった、ホントは返したかったんだけどね。これもわかるわかる、男はカッコつける生き物なんだよね。

私も昔は中間色を買っていたが、今は買わないようになった。混色に慣れれば、少ない色数でどんな色でも作れるからだ。色数が多すぎると、どんな色調の絵にしたいか決まりにくい。

明るめの色でたっぷり大まかに配色して、仕上げにいくほどグレージングによる重色で出来るだけ補色を重ねて深い色調にする。最初に塗った色が最終色ではないことを体で覚えること。

まずは単純な色、単純な色面で出発する。初めから仕上げを急ぐから細部の描写に入ってしまい全体感を忘れたチラチラ細かい絵が出来る。色数が多ければカラリストというわけでもない。少ない色数でも色感ゆたかに感じさせるのが色彩家というものだ。

主張の少ない絵には、いろんな色がバラバラに配色してある。まずは色よりも骨格のしっかりした絵にすること。明るい色調のシンプルな構図はどんな色にでももっていくことが出来る。広いグランドで遊ぶように自由なのだ。大根や茄子はどんな味付けにでも出来る。煮てよし、炒めてよし、漬けてよし。

ところが例外はあるものだ。Kさんは思いもよらない色を最初から入れ、セオリーをこえた独自な画面にする。私にはない無手勝流の「笑わせる才能」は軽々と常識を超えてしまう。人によっては絵には法則が通用しない場合があるもんだ。指導というものは人によって違うからムズカシイ。

 

2020年7月22日 (水)

気まぐれアトリエ日記(1262)・・・ナンキンハゼ

Img_5187-2 家の西側に植えた2本のナンキンハゼが大きくなった。植えてから30年が経ち、2階の屋根よりも高くなった。秋には赤い葉が西日に透けて輝き、冬には白い実が鳥の餌になり、夏には大きな日陰を作ってくれる。

2階のベランダ越しに見えるのだが、ベランダにはゴミ仕分けのボックスが6個置いてあり、要するにゴミ置き場になっている。このボックスを北側に移動すればアウトドアのスペースが出来るんじゃないかと考えた。

やってみると快適なテラスになった。布製のハンモックチェアが物置があったのを思い出した。木漏れ日が落ち、涼しい風が吹くたび葉擦れの音が心地いい。顔に少し日が当たる。スケッチ椅子とセットで買ったパラソルがあったのでベランダの手すりにネジで固定した。

Go Toキャンペーンも始まったが、出掛けるつもりはない。経済の問題も痛いほどわかるが、高齢の生徒を預かっている身としてはリスクを背負ってまで出かけ、万一のことがあったら、ことは命の問題なのだ。

政府は見切り発車をしてしまった。これが取り返しのつかないことに繋がらなければいいのだが。ここで木漏れ日を見上げ、風に吹かれていれば避暑地に行った気分になれる。

月末の一週間は絵を描こうと思っているが、外出を控えれば溜まった用事も片付けられる。風呂の壁に黒ずんだところがあるのでカビキラーをかけておこう。坪庭にもこの雨でけっこう草が生えてきた。またヤッサに「ここはなんだ?」と云われたので「時給1000円で草取りやるか?」とつまらないやりとりをした。

他にもいろいろ溜まった用事がある。これらをメモしておいて虱つぶしに片付けるのだが、その間にキャンバス地塗りとか、描きかけの絵に手を入れるとかする。手を入れたくなる時は、その絵を先に進めていくというよりは否定して潰し、次への展開をしたい時が多い。

簡単な用事を二つ三つやって絵を描く。また用事をしてから描く。こうすると用事をやっつけようという意欲が湧く。地塗りをしておいたキャンバスをどうしようかと考えながら用事をする。

明日のための用意だ。今を生きると云うけれど、明日はどんな絵が描けるのだろうかと思うだけで今日の用事は片付けられるのだ 。

 

 

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